いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 この辺りも印象に残りました。

 

P81

 海部町住民のうつに関する意識を垣間見るのに、このようなことがあった。私は、六十歳~八十歳代の女性たち七、八名からなるグループへのインタビューを行っていた。この日もまた話は本題から徐々にそれて、にぎやかな井戸端会議状態となりつつあった。そのとき、ひとりの女性が「そういや、よ」と周りを見回し、

「知っとる?○○さんな、うつになっとんじぇ」と切り出した。

 これを聞いた途端、残りの女性たちは一斉に、「ほな、見にいてやらないかん!」「行てやらないかんな!」と異口同音に言った。うつになったその隣人を、見舞いに行ってやらねば、と言っているのである。

 傍で聞いていた私は、彼女たちの反応が非常に面白かった。

 まず感じたのは、この人たちは、うつになったという隣人に対しそんなふうに接するのかという、ちょっと新鮮な驚き。どうやら、当事者を遠巻きにしたりそっとしておいてあげようという発想はあまりないらしい。さっさと押しかけていくのだ。

 もうひとつ興味深かったのは、彼女たちの「行てやらないかん!」という意思表明が、打てば響くようにほぼ同時に発せられたということだった。あなたはどうするの、お見舞いに行く?あなたが行くならわたしも一緒に行こうかな。私の周囲でよく見られるこうしたやり取りが、ここでは一切省略されていたのである。

「あんた、うつになっとんと違うん」と、隣人に対し面と向かって指摘する海部町の話を他の地域で紹介すると、いつも小さなどよめきが起こる。特に自殺多発地域であるA町での反応は大きかった。うつに対し偏見の強いこの地域では、うつについてオープンに話し合うような状況はほとんどなく、まして本人に直接指摘することなどありえないという。

「ほないなこと、言うてもええんじゃねえ」。A町在住のあるお年寄りは目を丸くしていた。その言葉は明らかにひとりごとだったので、私もあえて取り上げないでいた。少し眺めていると、彼女はもう一度、まったく同じことをつぶやいた。

 ほないなこと、言うてもええんじゃねえ。

 

P94

 ・・・調査結果のデータを数量的分析を行って検討したところ、第二章で挙げた以下の五つが、海部町に特に強くあらわれ、自殺多発地域においては微弱だったり少なかったりする要素であることが明らかとなった。

 

 いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

 人物本位主義をつらぬく

 どうせ自分なんて、と考えない

 「病」は市に出せ

 ゆるやかにつながる

 

 抽出されたこれら五つの要素が、コミュニティにおいて自殺の危険を緩和する要素、すなわち、「自殺予防因子」である。

 

P96

 私は調査を開始した当初から、海部町内に住む人々やその関係者から話を聞く以外に、同町の出身だが町を離れて長い年月を経ている人、中でも海部町とは対極に位置するような都会に住む人など、違った角度からの話を聞くべきと考えていた。

 ・・・

 私は、海部町の外から海部町を眺めたときの彼らの心境に関心があった。特に、東京のような国際的大都市に住み始めた当初はどうだったろう。さだめし戸惑い、衝撃を受けたであろうことは想像に難くない。そう思って、私は必ずこの質問をするようにしていた。上京してきたとき、カルチャーショックを感じましたか?

「そりゃあ、感じましたよ」

 どの人も、当然ではないかとばかりに即答した。まず、故郷の人々とは共有できていた常識や価値観が通用しない。たとえば自分が生まれ育った町では、たとえ他人の物であろうと、外に干した洗濯物がにわか雨に濡れるのをただ眺めている者などいなかったが、東京では、近所の留守宅の洗濯物を取りこんだ結果、二度とこのようなことをするなと怒鳴られた。呆然とし、人格を否定されたような気分になった。

 相手によって態度や意見を変えるという方便も、海部町出身の人々にとっては難題だったらしい。上司から「いい大人が、それくらいのことわからないかな」と苦々しげに言われ、深く傷ついた。程度の差こそあれ、誰しもがそうした感覚を体験していた。

「ただ……」と、そのあとに言葉を継ぐ、彼らの述懐が興味深かった。

 私がインタビューした、海部町を離れて長い年月を経た東京在住の人々は、年齢はニ十歳代から六十歳代、男性と女性、サラリーマン、教員、主婦など、さまざまだった。インタビューの日時も場所も違った。にもかかわらず、彼らはそれぞれの表現で、しかしほぼ同じ意味のことを語った。

「ああ、こういう考え方、ものの見方があったのか。世の中は自分と同じ考えの人ばかりではない。いろいろな人がいるものだ」。そう思って納得がいき、徐々に気にならなくなったと言うのである。

 ・・・

 彼らのこの弾力性こそが、海部町が多様性を重視したコミュニティづくりを推進してきた根拠となっているのではないか。もちろん、海部町の先達がこうした因果関係を意識していたとは考えにくく、多様性を認めざるをえなかったという町の成り立ちから、知らず知らずのうちに身につけた処世術であった可能性は高いのであるが。