自然栽培のお茶

1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人 1キロ100万円の塩をつくる (ポプラ新書)

 こんな感覚で前に進んで行けたらいいなぁと・・・

 

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 面積の8割を山林が占める、兵庫県神河町。西側に砥峰高原と峰山高原が広がり、東側に清流・越知川が流れ、町なかには5つの名水が湧く。なんだかずいぶんと清々しい空気で満ちていそうなこの町では、300年前からお茶がつくられている。その味は当時から評判で、「人形寺」として知られる京都の尼寺、宝鏡寺から、享保10年(1725年)に「仙霊」という銘を授かった。

 ちなみに、現代はお茶の生産者がどんどん少なくなっている。・・・

 仙霊茶も同じ運命をたどり、後継者がいないという理由で約300年の歴史に幕を下ろそうとしていた。その時、「じゃあ、俺、やっていい?」と軽やかに手を挙げた人がいる。神河町にも、茶園にも、縁もゆかりもなかった、元サラリーマンの野村俊介さん。2年間の研修を経て、2018年春、東京ドーム1.7個分に相当する仙霊茶の茶園を引き継いだ。そして今、農薬を使わず、肥料も与えない「自然栽培」のお茶づくりに挑んでいる。

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 1978年、神戸で生まれた野村さん。姫路にある大学を出て、神戸に本社がある医療機器メーカーに就職した。

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 ハードな仕事ではあったが、もともと人と話をするのが好きで、物おじしない野村さんは「むっちゃ楽しかった」と振り返る。営業成績も、悪くなかった。

 ただ、意味や必要性を感じないルールに縛られるのが嫌いという性格で、誰よりも遅刻をする社員だった。クライアントとのミーティングには決して遅れないが、特別な理由もないのに「朝8時に出勤しろ」と言われると「なんで?」と疑問を抱き、受け入れない。

 ある日、度重なる遅刻を見かねた上司に呼び出され、喫茶店でこう命じられた。

「来週の月曜日、全体のミーティングがあるやろ。絶対に遅刻するなよ。そこで、僕は今月一回も遅刻しませんって宣言しろ」

「え、嫌です」。野村さんのあまりにストレートな返答に、上司も仰天したのではないだろうか。もちろん、それから遅刻が減ることもなかった。

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 会社では、期待される役割を果たせそうにない。資本主義も揺らいでいる。この気づきを経て、「独立独歩で生きていける道を探したほうがいい」と思い至った。

 さて、これからどう生きるべきか。新しい道を模索し始めた時に、高校の同窓会で同級生と再会した。そのうちのひとりと話をすると、無農薬、無肥料の自然栽培で米と大豆を育てていて、収穫した米と大豆を使って味噌とどぶろくをつくっているという。さらに、稲に与える水を豊かにするために、冬は林業をしていると話していた。・・・

「こんな生き方があるなら、これが一番面白いかもしれん。資本主義も終わるんやから、これが一番強い生き方だ!」

 その場で、同級生に「こっちに来たら、いろいろ教えてくれるの?」と尋ねると、「いいよ、なんぼでも」と返ってきた。その言葉を聞いて、野村さんは軽やかに決心した。

「ほんなら会社辞めるわ」

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 しばらくすると、突然脱サラして未経験で農業を始めた野村さんのもとに、友人、知人が遊びに来るようになった。きっと大胆な決断に興味を持つ人も多かったのだろう。

 暑い盛りの8月、訪ねてきた友人のひとりが「お茶に興味がある」というので、知人の茶園に一緒に出向いた。そこで「神河に新規就農者を探してる茶園あるで」と聞いた。

「渡りに船!」とふたりで向かったのが、仙霊茶の茶園だった。・・・

 しかし、その友人は東京ドーム1.7個分、およそ7ヘクタールの茶園が「広すぎる」と、気乗りしない様子だった。そこで、野村さんは友人に尋ねた。

「じゃあ、俺、やっていい?」

 完全なる勢いだった。

「もともと、お茶にはぜんぜん興味なかったんですけど、とにかく一面の茶畑を見て大感動したんですよ。こんな条件のところはほかに絶対ないと思ったし、すぐにやりたいっていう人が現れるだろうから、それはもったいない、俺がやろうって思ったんです」

 景色や環境のほかに、もうひとつ、野村さんが惹かれたのは、過去10年ほど、農薬が使用されていなかったこと。話を聞けば、もとの生産者がオーガニックを目指していて、というわけではなく、お茶の需要の低下と高齢化もあって「機械も高いし、農薬を撒くのがしんどかった」という理由だったが、自然栽培を志向する野村さんにとっては願ってもないことだった。

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 それにしても、である。農業を始めて数カ月で広大な茶園を引き受けることに不安はなかったのだろうか?

「生姜とごまをつくっていた時と違って、お茶は樹なんで安心感があるんですよ。普通の農業は、つくったらぜんぶ収穫してリセットするじゃないですか。ごまの種を蒔きながら、不安なんですよ、芽が出てくるまでは。もしかしたら全滅かな、全滅したらまるっと赤字やなって。たいして儲からないのに、ギャンブルみたい。でも、お茶は樹だし、何年も無農薬で育っているから、茶畑に来た時の『今日もちゃんと生えている』という安心感はすごいんです(笑)」

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「研修をしている時に実感したんですけどね。普通の茶園って、別の農家さんの茶園と隣接してるんです。だから、無農薬でやると言ったら、お前のせいで虫が来るとか、お前のせいで雑草の種が落ちるとか怒られて、村八分どころじゃない。でも、ここは国道からすごく近い便利な場所にあるのに奥まったところで独立しているから、誰にも迷惑をかけない。こんなところはほかにありません、奇跡的ですよ」

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「日本では、無農薬のお茶って数%しか栽培されていないんですよ。でも、そこには確かな需要があって、自然栽培のお茶を飲みたいという人が、口コミで会員になってくれるんです。ここまで反応がいいとは思ってなくて、これはすごいなと思いましたね」

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 野村さんが仙霊茶を育む茶園のオーナーになって、3年目。まだまだ黒字化には遠いが、「どうにかなるでしょう」と楽観的だ。そう思えるのはきっと、野村さんのもとにユニークな仲間が集まってきているから。仲間がいることで新しいアイデアがさらにどんどん湧いてきて、一緒にそれを実現するのが楽しみで仕方ないという昂る想いが伝わってくる。・・・