新しい場所で働く時に大切なこと

1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人 1キロ100万円の塩をつくる (ポプラ新書)

 「新しい場所で働く時に大切なことって、『私は仕事ができる』ということを見せることじゃない」、このことは見落とされがちなような気がして、印象に残りました。

 

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 2011年11月。斎藤まゆさんは、フランスのシャル・ル・ドゴール空港から全日空ANA)の飛行機に乗り、日本に向かっていた。彼女はその2年前、山梨で誕生したばかりのキスヴィン・ワイナリーのオーナー、荻原康弘さんからスカウトされて、同ワイナリーの醸造家に就いた。しかし、自社醸造所の完成が遅れていたため、フランス・ブルゴーニュ地方のシャブリ地区にある名門ワイナリーと、ピノ・ノワールが有名な産地イランシーのワイナリーで、ブドウの収穫と醸造を学ぶ修業に出た。1年以上にわたったその修業を終えて、帰国の途に就いたところだった。

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「いつか、自分がつくったワインを飛行機のファーストクラスにのせたい。ビジネスクラスじゃなくて、絶対にファーストクラス!」

 それから9年の月日が過ぎ、迎えた2020年6月。全日空の国際線ファーストクラスで、日本のブドウ「甲州」を使ったANAオリジナルワインの提供が始まった。・・・ワインをつくったのは、斎藤さんが醸造家を務めるキスヴィン・ワイナリー。・・・

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 ・・・2000年、大学2年生の夏休みに・・・ほかの学生たちと出かけたボルドーブルゴーニュコルシカ島を巡る旅での出来事だった。

 老夫婦が経営するボルドーの小さなシャトーに立ち寄ったその日は、からっと晴れ渡り、濃いブルーの空が広がっていた。

 老夫婦は「この場所であなたたちと出会えて、一緒に乾杯できることをとても嬉しく思います」と挨拶し、ブドウ畑で自分たちのワインを振る舞った。爽やかな風が吹き、青々としたブドウの葉が揺れる。老婦人は穏やかに微笑みながら、学生たちと言葉を交わしていた。その瞬間に、心を奪われた。

「・・・生きるということについて、とっても迷っていた時期でした。だから、ワインづくりというひとつの仕事をしながら年を重ねてきたおばあちゃんを見た時に、素敵だな、私もああいうおばあちゃんになりたいなと思ったんです」

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 斎藤さんが目指したのは、農業分野では世界トップクラスとして知られるカリフォルニア州立大学フレズノ農学部のワイン醸造学科。1400エーカー(およそ東京ドーム122個分)のキャンパスを誇り、校内に農場や牧場、そして受賞歴のあるワイナリーを持つこの大学は、素人でも5年間でワインの専門家に育て上げる体系的なプログラムを持っていた。

 ・・・入学した斎藤さんは、・・・入学当初から、ある目標を定めた。

「うちの学科は伝統的に、卒業する学生のなかでひとりだけ、ワイナリーのアシスタントとして1年間、学校に残ることができるんです。学校がビザを取ってくれて、給料をもらって働ける。どうしてもその枠に入りたかったんです。業界に出ると、失敗は許されません。でも、大学のワイナリーは学生がいろんなことを試行錯誤するためにあります。アシスタントになれば、自分が失敗をしながら学ぶことができるだけでなく、学生の失敗も間近に見ることができるじゃないですか。そこから得るものはとても大きいと思って」

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 この環境を求めて、ワイン醸造学科にはモチベーションの高い優秀な学生が集まってくる。そのなかで「ひとり」に選ばれるためにはどうしたらいいのだろう?斎藤さんは、心に決めた。雨の日も、風の日も、毎日のように校内のワイナリーに顔を出し、掃除でも雑用でもなんでも手伝った。大学の指導陣だけでなく、ワイナリーのスタッフに「熱心で使える若者がいる」と印象付ける作戦だ。

 1年生の時からワイナリーに通い詰め、大学生活が5年目に入ったある日のこと。いつものようにワイナリーに足を運ぶと、専任のスタッフが微笑みながら声をかけてきた。

「まゆ、アシスタントにならない?」

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 ・・・2010年9月、斎藤さんはフランス・ブルゴーニュ地方の最北に位置するシャブリ地区で1792年よりワインをつくっている名門ワイナリー「ドメーヌ・ジャン・コレ」にいた。・・・醸造家としての修業先を紹介してもらったのだ。

 フランスへ向かう機内で、斎藤さんはこう考えていたという。

「私は相撲部屋に入るんだ」

 日本にやってくる外国人力士はみな、同部屋の日本人力士たちと寝食を共にしながら、日本語や文化を学び、心技体を鍛え、日本の国技である相撲で成功を目指す。翻って、ナンバーワンのワインの産地といえば、フランス。その厳しい世界で認められるためにはどうすればいいかを考えた時に、子供の頃から相撲が大好きな斎藤さんは、「相撲部屋に入る外国人力士」を自分に重ねた。

 ・・・手伝いは当初、ブドウの収穫と醸造で最も忙しい9月、10月の2カ月間だけ、という話だったが、結果的に1年以上をフランスで過ごすことになった。オーナー一家から「もうちょっといない?」という引き止めが続いたのだ。

「多分、新しい場所で働く時に大切なことって、『私は仕事ができる』ということを見せることじゃないんです。それよりも、もともと働いている人たちが仕事をしやすいように、彼らのペースに合わせてサポートをしたり、言われる前に掃除をしたり、頼まれもしないのに毎日畑に足を運んでブドウの様子を報告する。私はそういうことをアメリカでもひたすらやって喜ばれたし、フランスでもうまくいきました」

 能力をひけらかすのではなく、チームの一員として誰よりも懸命に働く。これが「相撲部屋に入った外国人力士」である斎藤さんが選んだ道だった。

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 よく気がつく働き者の日本人を、オーナー一家はよほど気に入ったのだろう。「せっかく来たんだから、赤ワインの勉強もしてくといい」と、シャブリの南西、ピノ・ノワールが有名な産地イランシーにあるワイナリーの仕事も紹介してくれた。・・・

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 2017年6月13日。斎藤さんは、胸の鼓動が速まるのを感じながら、目の前の男性の反応をうかがっていた。

 ・・・ジェラール・バッセさん。第13回世界最優秀ソムリエコンクールの優勝者であり、ワイン界の最難関資格マスター・オブ・ワインとマスター・ソムリエの資格を持つ、斎藤さんいわく「ワイン界の神様みたいな人」だ。

 バッセさんは、斎藤さんが醸造した白ワイン「キスヴィン シャルドネ 2014」を口に含むと、次の瞬間、頬を紅潮させながら小さく叫んだ。

「なんだこれは!うまいじゃないか!」

 見るからに前のめりになったバッセさんが、斎藤さんに尋ねた。

「このワインは何本つくっているの?」

「1700本です」

「OK、1500本、俺が買う」

 え?斎藤さんは一瞬耳を疑ったが、バッセさんの眼差しは真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。ガッツポーズしたくなる気持ちを抑えて、頭を下げた。

「ごめんなさい、売り切れなんです」

「なんと……」

 ・・・

 会合が終わり、少しフワフワした気分で会場を後にした斎藤さんと荻原さんは、山梨の塩山へ帰路に就いた。・・・一息つきながらスマホを開き、ツイッターを確認した時、それまでの高揚した余韻が一気に冷めた。

 バッセさんが、「ユニークでセンセーショナル」「才能豊かなワインメーカー」として、「Mayu Saito」の名前をツイッターに記していたのだ。新興ワイナリー、キスヴィンの名とともに、醸造家「Mayu Saito」の存在は、世界に拡散された。・・・