1キロ100万円の塩をつくる

1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人 1キロ100万円の塩をつくる (ポプラ新書)

 「稀食満面」を読んで、こちらの本も読みたいなと気になっていました。

https://blog.hatena.ne.jp/ayadora/ayadora.hatenablog.com/edit?entry=4207112889982612761

 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人のみなさんが紹介されている本。

 魅力的な方ばかりで驚きでした。

 

P20

 京都の福知山駅から車でおよそ40分。兵庫県丹波市に入り、のどかな田園地帯を抜けていくと、緑が眩しい甲賀山の麓に小さなパン工房がある。そこには、日本全国から個性的な食材が届く。ある日は、青森のリンゴ農家がつくったライ麦。またある日は、八ヶ岳の標高1000メートルの畑で獲れた無農薬栽培の巨大なビーツ。時には、台風で停電になり、冷蔵庫が使えなくなった千葉の農家から、ニンジン10キロ。

 頭をひねり、あの手この手で、これらの食材を使ったパンを創作するのは、塚本久美さん。2016年、全国的にも珍しい通販専門のパン屋「HIYORI BROT(ヒヨリブロート)」を立ち上げたパン職人だ。・・・

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 それにしても、なぜ、塚本さんのところに多様な食材が集まってくるのか?あるいは、集めているのか?これは「パンづくりは、材料ありき」「パンはひとつのメディア」と話す、ちょっと変わったパン屋さんの物語である。・・・

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 もうひとつ、塚本さんのパンづくりを方向づけたのは、ドイツでの出会いだった。2011年、志賀シェフから1カ月の休みをもらった塚本さんは、ベルリンを目指した。そこには、学生時代に友人と旅行した際、一度だけ訪ねたことがあるパン屋があった。

「その時、石臼で小麦を挽いているのを初めて見て、衝撃を受けたんです。今は日本でも石臼で挽いているパン屋さんが少しずつ増えていますけど、当時は日本で見たことがなかったから。しかも、すっごくおいしかったんですよ」

 ・・・ベルリンに着いてからアポなしでお店に飛び込んだ。

「この街に1カ月いる予定だから、働かせてくれませんか?」

 ・・・突撃訪問に並々ならぬやる気を感じたのか、3日間の見学が許された。

 そのパン屋さんは、ドイツのオーガニック認証「デメター」の最も厳しい基準をクリアしていた。食器を洗う洗剤でさえ、化学的なものは使えないハードルの高い認証だ。使う小麦もすべて無農薬、無化学肥料で、さらに天体の運行などによって種を蒔く時期や収穫時期を決めるバイオダイナミック農法でつくられているものに限られていた。

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「うちは、だいたい30キロ圏内で獲れたものを使ってると思うよ。みんな知ってる農家のものだし。だって、誰がつくったかわからないものを使うのは、怖いじゃない」

 塚本さんの胸には、ドイツで見た光景とこの言葉がずっと残り続けた。

 それから少し時が流れ、シニフィアンシニフィエを辞めて、独立に動き始めた2015年、島根県石見銀山で友人がパン屋を開くことになり、オープンに合わせて、3カ月ほど手伝いに行った。その間に、塚本さんあての食材が届くようになった。きっかけは、島根に出向く前に会った、蕎麦屋の友人との会話だった。

「久美ちゃんちょっとさ、この小麦、使ってみてくんない?」

「え?」

「うちで使っている蕎麦の農家さんが裏作で小麦をつくってるんだけど、売り先がないのよ。農協に卸すとびっくりするぐらいの安値でしか買ってもらえなくて、牛の餌になるのが関の山じゃないかって気がするの。けっこう真面目につくってるのにそれは寂しいから、パン焼いてみて」

 はい、とおもむろに渡された小麦を持ち帰った塚本さんは、東京でパンをつくってみた。それが思いのほかおいしく、「開業した際にはぜひ使わせてほしいです!」と友人に連絡をしたところ、その蕎麦農家さんもよほど嬉しかったのか、島根まで小麦を送ってきたのだ。その小包のなかには、小麦をつくっている畑の近くになっていたという柚子も入っていた。

 そこで、今度は柚子を使ったパンをつくり、送り返した。それにまた大喜びした蕎麦農家さんは、次に近所中から集めて、たくさんの柚子を送ってきた。手伝い先のシェフも面白がって、一緒にその小麦で柚子を使ったパンを焼いた。その時に、ふとドイツでの出来事を思い出した。

「あ、ドイツのおじちゃんが言ってたあの言葉って、こういう感覚かな?」

 この時、塚本さんは心に決めた。

「こういう感じで、なるべく顔が見える生産者さんのものを使おう!」

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 塚本さんは、直感的に「これだ!」と思ったら、その気持ちを大切にする。工房の場所だけでなく、働き方もそうだった。

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 日々、さまざまな食材を紹介し、失敗も成功もオープンにしているヒヨリブロートのSNSは今、メディアとしての影響力を持ち始めている。塚本さんがある日、佐賀のチーズ生産者がホエーを使ってつくったチーズをSNSにアップした。ホエーとはチーズやバターをつくる段階に出る液体で、通常だと廃棄されるもので、その試みとおいしさに感嘆しての投稿だった。すると、そのチーズの生産者のもとに続々と注文が入ったという。

 その逆のパターンもある。例えば、台風が来ると、生産者は事前に作物を収穫する。台風による被害を避けるためなのだが、そうすると、市場が同じような野菜でいっぱいになって引き取ってもらえなくなる。野菜の鮮度は落ちていく一方だから、最終的には二束三文で買いたたかれるか、廃棄処分になる。

 そこで、台風が来ると、塚本さんは予め「うちが定価で引き取ります」とSNSに投稿する。それを見た生産者が、市場に持っていけない作物を塚本さんのもとまで届けに来る。塚本さんはそれを適正価格で買い取り、乾燥させたり、漬け込んだり、ソースにして保存するのだ。買い取るのは、近隣の生産者に限らない。冒頭に記したニンジン10キロも、千葉の生産者が台風で停電になり、冷蔵庫が使えなくなって困っていると知って購入したものだし、コロナ禍でも北海道の生産者から過剰在庫になったジャガイモを10キロ購入した。

「今って、大きいサイクルより、小さなサイクルがいっぱい、いろいろなとこにあるほうがいいような気がしていて。だから、私がやることをまねしてくれる人がどんどん出てきてくれたらいいなぁと思うんです。私は丹波のものを使う機会が多いけど、日本各地にできたら、それぞれの地元の食材を引き受けられるじゃないですか」