精神科医ですがわりと人間が苦手です

精神科医ですがわりと人間が苦手です

 香山リカさんのエッセイ、20年近く前のものですが、面白く読みました。

 

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 精神科医稼業について、もう二〇年以上の年月がたった。私がこの仕事についた頃、生まれた赤ちゃんも、もう立派な大学生だ。

 これまでたくさんの患者さんを見てきたが、たくさんの精神科医にも会ってきた。「精神科医ってみんな変わってるんでしょ?」ときかれることもあるが、私の答えは「そうでもない」。驚くほど個性的な精神科医というのは少なく、ひとことで言えば地味な人が多い、という印象がある。明るいアウトドア系やリッチな遊び人系にはほとんど会ったことがない。

 では、みんな同じタイプか、というとそれも違う。少なくとも「私みたいな人」と、「私みたいじゃない人」には分けられる。

 では、「私みたいな精神科医」というのは、いったいどんな人たちなのか。何年もずっと考えていた(それだけでもヒマな話なのだが)。そして、その答えは自分の中からではなく、高校時代の友だちから二五年ぶりにかかってきた電話の中にあった。しばらくおしゃべりしてから、彼女は言った。

「いま何やってるの、ふーん、精神科医?でも、話し方は昔と全然、変わってないじゃないの、なんかいいかげんな脱力系のままで」

 そうか、私は「脱力系」なのか!

 私はポンと膝を打つと同時に、「私みたいな精神科医たち」の顔をつぎつぎに思い浮かべた。そう考えてみると、その人たちもみな、なんとなくフニャフニャしていたりタラタラしていたり、「脱力系」と言えるのではないか。

 そして、「私みたいじゃない精神科医」というのは、派手ではないが誠実な勉強家、「まじめ系」だということもわかった。

 「脱力系」の精神科医の多くは、私同様、さしたる理想も夢もなく、「これしかできることがなかったから」といった消極的な理由で精神科医になっている。「これぞ」という専門もないまま、なんとなく臨床一般を続けている人も多い。「一〇年後にはこうなりたい」という自分のプランもないのと同じように、患者さんに対しても「三ヶ月で必ず社会復帰しましょう」といった期待をしない。

 ただ「平均的な生き方」という概念じたいがないので、どんなに病状が重い人が来てもあまり驚かない、という特徴もある。「まあ、こんな人もいるかもしれないな」と受け入れてしまうのである。

 気楽につき合えるから「脱力系」の精神科医のほうがいい、と思う患者さんもいるだろうが、もちろん「まじめ系」のほうがいい、という人もいる。私もこれまでたくさんの患者さんから「先生、もうちょっとしっかりしてくださいよ」ととがめられたし、中には「もっとちゃんとしたお医者さんのところに行きます」と去って行った人もいる。

 だから、「さあ、あなたも精神科医のところに行くなら〝脱力系〟のところに!」とは、とても勧められない。

 でも、「精神科医ってなんだかコワい人、というイメージがある」と思っている人には、自信をもって言いたい。

「だいじょうぶ、私みたいに緊張感も使命感もないまま、〝他人に甘く、自分にはもっと甘く〟をモットーにやっている精神科医もいるのですから……」

 そう、あなたのほうがきっと何十倍もちゃんとしてます。

 自信をもって、精神科医のところに来てください。

 

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 新聞連載で繰り返し、「精神科医になったのは想定外」「私は精神科医に向いているかどうか、わからない」といったことを書いてきたせいか、知人から「あんな発言はまずいんじゃない?」と忠告された。

「患者さんにしてみたら〝子どもの頃からの夢だった医者になれて、張り切って診療してます!〟と言う先生じゃないと、安心できないんじゃないの?」

 たしかに、その通りかもしれない。もし、私が歯医者さんを受診して、そこの先生が「いやー、歯医者になんかなっちゃって。自信がないんですよ」などと言い出したら、思わず開けた口を閉じてしまうかもしれない。

 しかし、精神科医の場合はどうだろう。

「私、物心がついたときから、精神科医になりたくてなりたくて、たまらなかったんですよ」と目を輝かせながら語る精神科医がいたら、それはそれでちょっと不気味なのではないだろうか。

 この仕事をしていると、他科の同業者、つまり内科や耳鼻科などの医者から、

精神科医か……。私も学生時代は一時、憧れたものですがね」

 と言われることがある。

「じゃ、どうしてならなかったんですか?」

 と食い下がると、

「まあ、むずかしそうだったから」

「他の科を経験してからでも遅くない、と思ったもので」

 といったわかったようなわからないような答えが返ってくることが多い。

 とはいえ、その人たちの気持ちはなんとなくわかる。

 医学部の六年にも及ぶハードな勉強のほとんどは、精神科領域からはかなりかけ離れたことばかりだ。ウェズラー・ワイグナー肉腫といった覚えにくい病名を山ほど覚え、心電図、MRIなどさまざまな検査の仕組みや読み方を覚え、聴診、打診といった基本的な診察方法も習得し……といった六年間を終えたあと、それらをすべて一度、「えいっ」と捨てて精神科医になるのは、実はとても勇気のいることだ。

 つい、「あんなに心臓や胃腸の勉強をしたのだから、その知識が生かされないのはもったいない」と思ってしまうのだ。「もう精神科医になるしかないか」と思っていた私でさえ、卒業時にはふと「もしかしたら小児外科もできるんじゃないか」といった気の迷いを覚えてしまったくらいだ。

 精神科研修医になりたての頃、大先輩がしみじみ言った言葉が忘れられない。

「これまで、まず麻酔科を一年だけ勉強してから精神科に来ます、救急医療を習得してから必ず精神科医になります、と何人の若者があいさつに来ただろうか。その中で、約束どおり精神科に戻ってきた人は、ただのひとりもいなかった」

「来年、小児外科で研修してきてもいいですか」と喉元まで出かかっていた私の言葉は、それを聞いて引っ込んだ。

 以来、精神科ひとすじの生活も、あと数年で四半世紀だ。