天才の背中

天才の背中 三島由紀夫を泣かせ、白洲次郎と食べ歩き、十八代目中村勘三郎と親友だった男の話。

 舞踏家梅津貴昶さんと、中村勘九郎さん、白洲信哉さん、東山紀之さん、首藤康之さんとの対談集です。

 たまたま目にして、読んでみようかなと思い、読み終わったタイミングで、ちょうどあちらに旅立たれたとニュースに上がっていました。

 今、この宝船に乗っていらっしゃるのかなと、不思議な気持ちになりました。

 

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 それは、とても静かな海でした。

 少し傾きかけた陽の光を受けて、鏡のように凪いだ水面がキラキラと輝いています。

 眩しさに目を細めていると、沖合から一艘の宝船がゆっくり近づいてくるのが見えました。目を凝らすと、そこには十七代目中村勘三郎先生や六代目中村歌右衛門先生、武原はん先生に六代目尾上菊五郎先生の未亡人・寺島千代様、それに六代目藤間勘十郎ご宗家など、錚々たる、でも私にとっては浅からぬご縁のある方々のお姿がありました。

 波打ち際に立つ私のもとに近づいてきた宝船の舳先で、勘三郎先生が私に向かって、こうおっしゃるんです。

「大丈夫。梅津さんは強いんだから、大丈夫」

 そんな、ありがたい言葉をかけていただいたというのに、当時の私は何度も、何度も首を横に振っています。

「だけどね先生、啓明ちゃん(十八代目中村勘三郎)や寿ちゃん(十代目坂東三津五郎)にも会いたいから、私もその船に乗せてほしいんです」

 私がそう言い終えた途端、船の脇の海面から勘三郎先生のお弟子さんだった二代目中村小山三さんが、チャポンと現れたんです。そして、驚いている私に向かって、

「まだですよ、まだ早いですよ!」

 それだけ言い残すとまた、小山三さんは海の中にヒュッと引っ込んでしまいました。勘三郎先生をはじめ、宝船の上の先輩たちは、黙って頷くばかりです。胸が張り裂けそうな思いだった私ですが、同時にこんなことを考えていました。

「生きているときに後見をされてた小山三さんは、亡くなったいまも後見をしているのね」

 そう微笑ましく思ったところで、私はさらに深い眠りに落ちていきました―。

 私は平成二九年、開頭手術を受けて、頭の中にあった腫瘍を五つ、取り除きました。それはそれはたいへんな手術でしたけれども、なんとか一命を取り留めることが叶いました。そして手術の後、私は大学病院の集中治療室のベッドに横たわり、混濁した意識のなかで、さまざまな夢を見たんです。すべては幻聴、幻覚の類だと思いますが、そのなかでとくに印象深かったのが、この不思議な宝船の夢でした。

 古希を迎えた今日まで、私は日本舞踊という、芸の道をひたすらに突き進んできました。

 しかし、その一方で「自分は病気をするために生まれてきたのかな」と思えるほど、私の半生というのは病との闘いの連続でもありました。

 小児麻痺に股関節脱臼の状態で生まれ、小学生で脊椎カリエスを患い、蓄膿や胃のポリープの手術を受け、昭和六三年には重いヘルニアで勘三郎先生のご本葬にも参列できずじまい。五年半の闘病ののちには、メニエール病にも悩まされました。平成二八年には胆管がん、そして翌年には、先に述べた脳腫瘍……。

 やっと病から立ち直り、次の舞台に、そしてこの本に取り掛かろうとしていた矢先の平成三〇年夏にも、記録的な猛暑が続くなか、私は自宅の台所で倒れてしまいました。緊急入院する羽目になったのです。

 熱中症でした。それに肺炎も併発していたそうです。

 もともと記憶力には自信がありましたが、倒れる前夜のことはまるでわからないんです。

 近年、マネジメントをお願いしている方が、三日間も連絡が取れない私の身を案じて、自宅に駆けつけ救急車を呼んでくれたおかげで、私は九死に一生を得ることができました。

 しかし、入院後も高熱はいっこうにひかず、私の意識は常に朦朧としたまま。そこでまた、私はじつに不思議な夢を見るのです。

 病床に就いたままの私がふとベッドサイドに目をやると、そこにはとっても懐かしい、でも、決してそこにいるはずのない、大切な友人の顔があったんです。

「え、なんで、あんたがいるの?」

 心底驚いて、私はそう問いかけました。しかし、それには一切答えようとせず、そのいたずら好きで寂しがり屋の友人はニコニコ笑いながら、あろうことか私の腕の静脈につながれた点滴の中に、懸命に入ってこようとしているんです。

「その点滴に入れて、僕を入れて」

 今度は耳馴染みのある彼の声までが、はっきりと聞こえてきました。

「あんた、何バカなこと言ってるの!そんなの、絶対ダメに決まってるじゃない。啓明ちゃん!」

 そう、私の病室に現れたのは、六年前に五七歳の若さで亡くなってしまった、十八代目中村勘三郎さんなんです。

 勘三郎さんは、私がいくら止めてもいっこうに聞く耳を持ってくれません。笑みを浮かべたまま、

「入れてよ、入れてよ」

 と、相変わらず点滴になんとか入り込もうとしています。

「あんたね、こんなときにふざけないの!」

 声を荒らげ、勘三郎さんを制しようとした私でしたが、ここでまたしても驚くことが起きて息を飲みました。なんと、五代目坂東玉三郎さんまでが出てきたんです。ガラスでできた「櫓のお七」のような格好で、大和屋が勘三郎さんを追いかけるようにして現れたのです。

「ちょっと待ってー、私も行くわ!」

 今度は二人で私の点滴に入り込もうとしています。

「あんたたち、やめなさい、やめなさい、やめなさい!」

 私は、またしても大きな声を上げてしまいました。

 もちろん、いま冷静になって振り返れば夢だとわかります。だって、玉三郎さんの衣装なんてガラス製なんですから。現実なわけがありません。

 でも、あのときの私は、幻覚と現実の境がとてもあやふやでした。夢から目覚め、現実の世界に戻ってきた私は、心配そうに見つめる看護師さんにこう訴えました。

「どうしよう、勘三郎さんと玉三郎さんが、この点滴の中に入っちゃったのよ」

 私はこの二つの不思議な夢の、その意味を考えました。

 ・・・

 芸道を進むよりほかに道を知らない私はこれからも、この命の続く限り舞い、踊ります。

 少しでも天才たちの背中に近づき、追いつくために。人生をやり遂げたとき、今度こそあの宝船に乗せていただくために―。