だから、僕らはこの働き方を選んだ

だから、僕らはこの働き方を選んだ

 東京R不動産の方が書いた本です。

 理想としている働き方は、「やりたい仕事をすること、ちゃんとお金を稼ぐこと、社会を豊かにすること、楽しい仲間と働くこと」とあって、なるほど、それに尽きるかもと思いました。

 

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 仕事は人生の多くを占めることは間違いない。それを嫌々やる人生なんて、絶対にまっぴらだ。

 しかし、すべてが思い通りになるほど世の中は甘くないこともわかっている。

 これからもっと厳しくなり、そして変わり続ける状況の中で、働き方についてどう考えればいいのだろう。

 振りきるべきか、バランスを取るべきか。好きなことをやるべきか、安定を取るべきか。お金を取るか、やりがいを取るか。仲間を取るか、出世を取るか。その答えは人によって違う。

 当たり前の話だ。だけど、その当たり前のことに気づきながら、真正面から見つめない人が多いのではないだろうか。

 僕らは「東京R不動産」という、ちょっと変わった不動産物件サイトを運営している。それまで画一的でイメージも悪かった不動産という世界にクリエイティブな切り口を加えて、「おもしろい不動産屋」をつくってきた。

 この仕事は最初、「やりたいこと」をちょっとマニアックにやってみることから始まって、一緒にワクワクできる仲間が集まって、それをちゃんと「仕事」にしていくために工夫して、気づいたらユニークな仕事のスタイルや組織ができていた。

東京R不動産」の仲間たちは、常識を自然に疑いつつ、自分たちの理想をゆっくり追いながら、そして仕事への熱い思いも持ちながら、八年間やってきたなかで、ようやく自分たちの仕事へのスタンスや独自のやり方が整理できてきた。

 基本的には、やりたいことを、仲間たちと、たくましくやっていく。それしかないじゃん、と思っている。

 僕らはまだまだ道の途中であるけれど、自由で楽しく、無理も嘘もなく、信念や熱さを持ちながら、「幸せな働き方」ができている。

 僕らのワークスタイルや価値観のあり方を象徴するのが「フリーエージェント・スタイル」という組織のかたちである。

 それは「会社員」でもなく「独立したフリーランス」でもない、その中間のあり方であり、両方の「良いとこ取り」をしたスタイルだ。

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 東京R不動産のメンバーは価値観も思考もバラバラだけれど、僕らが理想としている働き方については、常に似たような感覚を共有している。おおざっぱに整理すると、次の四点に集約される。

1 やりたい仕事をすること

2 ちゃんとお金を稼ぐこと

3 社会を豊かにすること

4 楽しい仲間と働くこと

 どれも当たり前のことかもしれないが、これを全部クリアして働くのは、普通の会社ではなかなか難しい。

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 僕らも理想の状態を実現しているとはまだまだ言えないけれど、少なくともバランスよくそれらを実現している。

 この本では、そのために東京R不動産という組織がどんな試行錯誤や工夫をしているのか、そして、その過程で経験している苦労などをそのまま書いていきたい。

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 ・・・林厚見は、東大の建築学科を出て、経営コンサルティングマッキンゼーに就職。その後、コロンビア大学に留学し、帰国後、三〇歳で不動産会社の役員をしていた。

 これだけ見ればまばゆいばかりの経歴だし、このまま順調なキャリアアップの道もあった。さまざまな選択肢があったわけだが、なぜか収入やステータスを上げていく道には進まなかった。理由は「自由に、好きな仕事がしたかったから」。外から見れば呆れてしまうだけだが、本人はいたって真面目である。

 林はマッキンゼー時代、一週間のアメリカLA出張最後の夜、疲れきってあるホテルにたどり着いた。そこは当時、話題になり始めていたデザインホテルだった。

 その空間、空気感、喧噪、演出やデザイン、すべてが衝撃的だった。

「一気に心臓がどきどきした。その夜が僕の人生のベクトルを変えた。こんな空間をつくる仕事に関わりたい」

 マッキンゼーの仕事に不満はなかったが、心の底からわき上がる感情を抑えることはできなかった。そうして一年後にコンサルティングの仕事を辞め、建築とビジネスの接点である不動産開発の修業をするために、アメリカに留学する。

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 馬場正尊は、吉里、林と同様、大学は建築学科だったが、大学四年で子供ができて人生が一転する。学生結婚をすることになり、妻と子を抱えバブル経済の最中に極貧生活を送る。

 とにかくそこから抜け出したくて、建築ではなく給料の良さそうな博報堂に就職。やっと手に入れた平穏な暮らしだったはずだが、安定した空気に慣れてくるとモヤモヤとした気分が積もっていった。

 そして、二九歳で会社を休職し、大学の博士課程に戻り、半分フリーランスのような状況になっていた。再び会社に復職すると、今度は浦島太郎のような状況に陥ってしまう。一度自由な空気を吸ってしまった人間にとって、そのギャップを埋めることはできずに結局会社を辞めてしまう。

「安定して先が見えるのも不安、人生の先が見えないのも不安。同じ不安ならやりたいことをストレートにやった方がいい」。そう思ったのを覚えている。

 僕らは経歴は多少違えど、そこには共通の意思のようなものがある。

 それは日本の街や空間を、もっと楽しく、生き生きとしたものに変えていきたいということだ。僕らは今の日本や東京の住環境に満足しているわけではない。それを変えていく社会的なエンジンになりたいと思っている。