多様でフェアでほどよくダメな

だから、僕らはこの働き方を選んだ

 多様性、フェアだと感じられること、視点を変えて見る、何がほんとにマトモか、などなど、大事だなと思うことがたくさんありました。

 

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 東京R不動産の営業チームには、週に一度の定例会議がある。そのときだけはオフィスに来なくてはいけない。月初めの定例会議では、「シェア決め」というのが行われる。成約した物件に関して一つひとつ、誰が担当したのか、情報源は何だったか、数人で共同した場合は貢献度はどうだったのか、といったことを確認する時間だ。

 物件探し、案内、交渉調整、契約手続き、といった各々の作業に対して決まっている報酬をどう配分するかが、ここで決まる。

 大抵は一人が全部こなすから、誰が担当したのか、そしてオーナーさんなどからサイトに掲載依頼があった物件かどうかを確認すれば終わるのだが、クリアーに役割分担が見えないような場合もあって、そういうときには話し合いが行われる。

 僕らのチームは基本的に人がいいので、いかに自分が貢献したかをオーバーに主張するような人はまずいない。むしろ「いや、僕はまあ半分以下だよ」「いやいや私も半分以上貢献したってイメージはないわよ」という遠慮がちな話にいくことが多いのである。しかし、そうなると話は逆に厄介だ。

 ここでの基本ルールはフェアであること。言いかえれば過剰な主張も罪であるように「遠慮も罪」であって、あくまで「どこがフェアラインなのか」を考えることを求められる。

 遠慮によって「アンフェアな前例」ができることはよくないという理屈だ。フェアラインはそもそも一つのはずだから、そこを見出す話し合いをすれば、フェアなルールがチームの中にだんだんつくられていく。

 もう一つ、「コモンフィー」というのがある。一つひとつの物件のマッチングのための直接的な仕事ではなくて、個人の自由な動きだけだと解決できないグレーゾーンのような、「誰かの仕事と分担できない」業務をやることで生まれる仕事に対する報酬のことだ。

 例えばそれは、定例会議の仕切りから、業務フォーマットの整備、サイトの改善提案、ITの先生、そして植物の世話や飲み会の幹事役、そしてなんとなくリーダーシップをとって盛り上げる役割に対しても評価し、少しだけれど報酬が払われる。

 このルールは当初なかったが、メンバーからの提案により実施することになった。

 これは、全員の売上の合計に対応したパーセンテージが半年に一回決められるのだが、そのパーセンテージを決めるためにレビューという場がある。それぞれが、チームに対してどれだけ貢献したかを自らプレゼンするのだ。

 ここでは、「自分はこんなことをやっている」「えー、もっとやっているよ」「いや、やってないじゃん」といったフラットな会話がみんなの前で行われる。

 おもしろいことに、僕らの場合は、自分の評価より周りの評価が高いことがほとんどだ。このプレゼンでも、遠慮するとみんなから怒られるのだけど、最終的に評価を決めるマネジメントのメンバーとしては、その人の性格(遠慮がちとか、けっこう主張するタイプとか)と他のメンバーの評価をふまえて決めていくことになる。

 こうして、僕らはフェアネスをチームの大事な軸にしている。「ここはフェアな場所」だとみんなが思っていれば、グチは出ないものだ。そしてそれは、メンバー間や会社と個人の関係、さらには顧客、マーケットに対しても同じスタンスである。

 

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 僕らが得意なのは、「一般的にはダメと思われているものでも視点を変えると魅力的」というやつだ。基本的に、ダメなヤツをなんとかしてやりたいというのは結構共通の心理である。のび太的なダメ人間は、基本的に嫌われにくい。むしろ、ほどよくダメ人間であることも悪くないのだ。

 いちいちすべてのことを「最適化」するのはつまらない。ちょっと問題が起こると全部修正していったり、完璧すぎて隙がないのは、意外におもしろくないのである。

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 人間が想像できることには意外と限りがあるから、本当の最高はちょっと考えて最適だと思えることとは違うところにある。だから、僕らは「ダメ」をある程度許容する。僕らは、魅力的な隙をつくりたいと思う。

 

P162

 僕らは、多数決で勝つものだけが残る世の中は好きじゃない。ランキングで売れるもの、つまり「好きな人が多いもの」を買うようにさらに誘導するのは、どこか違和感がある。また、某コンビニのようにそれぞれのカテゴリーで一番売れるものしか置かない店のやり方も、「買物の楽しみ」「選ぶ楽しみ」を奪われている気がして足が遠のいてしまう。

 それは確かに儲かるやり方なのかもしれない。でも「人をみんな同じだと考える、そうすると一番儲かる」という世の中は全然素敵じゃないと思うし、それをやっている人たちがハッピーかというと、きっとそうではないと思う。

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 価値観に多様性がある方が、人として、マトモなことだと思う。均質になっていいものとよくないものがある。残さなければいけない多様性がある。東京R不動産では、微力ながらそれを守りたいというテーマがある。

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 個人の生き方や基本的な価値観も、本当にマトモなあり方を考えてもいい時期に来ていると思う。

 すでに、贅沢であることや「上昇」すること自体の意味は確実に変わってきた。不動産や住宅だって、ただ豪華であることはもう本質的な価値はない。一方で安全性だけですべてを決めるのも、あまり豊かではない。

 会社も同様だ。規模成長を前提とした会社やビジネスのあり方も、もうマトモじゃなくなってしまった。時代によってマトモなあり方は違う。終身雇用も年功序列も、悪いのではなくて、時代の状況に合わないのだ。それでもかつてのやり方、働き方のままでいると、何かがおかしいことになる。

 転機である今、世の中には新しい「マトモなかたち」を追求する仕事が社会起業としてたくさん生まれてきている。それらは過去の価値観や仕組みの中では、お金になりにくいとか、主流でないとか、そういう見方をされることも多い。

 しかしそれは、人の頭や心の中の「価値観」が変わると位置づけは変わってしまうだろう。僕らのシゴトの未来の戦略は、そうした視点も組み込んだものになる。

 

P190

 人が幸せを感じるのは、何を持っているか、どんなポジションにいるか、といった絶対値とは関係ないと思う。昨日よりも進化している実感を持てたり、先に向けて希望があったり、仲間たちと共に目的に向かう前進にこそ充実感や幸せを感じると思う。

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 人生計画はあってもいいけれど、キャリアプランというとついついカタくなる。だからトリッププラン、つまり旅の計画をする感じがいいのではないかと思う。キャリアというのは「積み上げる」ものだけれど、人生や仕事はそんなに思う通りにはいかないものだ。

 人の可能性はもっと偶発的に開いていくものかもしれない。いっそのこと、人生をいくつかに分けてしまってもいいかもしれない。いずれにしても、やったことは積み重なって知恵になっていく。