年とともによい方へ変わっていくには、どんなポイントが?ということが、林真理子さんの経験をもとに書かれています。
この辺りは番外編的なエピソードですが、印象に残ったところです。
「あまりに落ち込んだので、京都に熊を食べに行きました。」という文章、らしくて笑ってしまいました。
P142
若い時の旅で、その後の人生をも変えるきっかけにもなったのが、前述(P119)したように友人に借金までして行った中国でした。講談社が企画した「出版文化訪中団」と称する中国ツアーで、書店主や取次店を対象にしていたので、実家の本屋にもそのビラが送られてきたのです。
「これだ」
まだ珍しかった中国の旅行記を雑誌に売り込もうと思い、当時勤めていた小さな広告代理店に十日間の休暇をもらおうとしたところ、上司に断られてしまいました。
「それじゃ、辞めます」
奇妙なほど落ち着きはらってこう答え、会社を正式に辞めた二日後には成田から飛び立っていました。中国人全員が人民服を着ていた時代に私が考えたのは、
「現地で思い切り派手な服を着て、とびきり目立つ写真を撮ろう」
ということ。毛沢東の大きな肖像画とくすんだ色の人民服を着た中国人たちの前で、山本寛斎さんのピンクと黄色のド派手な服を着ている写真が今も残っています。
不遜なほど大胆だった若い頃の自分が、当時のまだ荒らされていなかった中国の美しい原風景とともに思い出されます。旅の記憶が、何年経っても人生を後押ししてくれたり、勇気づけてくれることもある。だから旅はやめられません。
P145
いろいろなことが不得意な私が、これだけはという自信を持っていること―それは他でもない「書く」ことです。仕事で書くことにかぎらず、筆まめでしょっちゅう手紙も書きますし、なんといっても書くという行為が好きなのです。白い紙に絵を描くように文字を書いていく楽しさがある。日大の理事長室で仕事をしている時も、合間に手紙を書いて手を動かすことが何よりの気分転換で、書くだけで元気になってきます。
小説もエッセイも手書きなので、原稿用紙をいつも持ち歩くようにしています。新幹線の車内、喫茶店、出版社の会議室などでいつでもどこでも、少しでも時間が出来るとペンを走らせるのです。
小説を書く時には、手が自動的に動き始めます。登場人物が次から次へとしゃべり、物語が勝手に進んでいき、気がついたら三十枚書いていたなんていうことも。いわゆる「ゾーン」に入っている状態というのでしょうか。手が疲れてきて、ようやくペンを置くと、集中が切れて放心状態になります。経験上、こういう時は小説が上手に書けています。
P163
「ハヤシさんて、本当に元気ですよねー。いったいどれだけ体力あるんですか」
とよく言われます。たしかに年々いっそう忙しく動き回っているので、元気には見えるのかもしれません。
ただし、当然ながら私にも確実に老いが忍び寄っています。
編集者たちと行く山梨へのバスツアーの帰り、疲れ果ててヨダレを垂らして寝ていたり……そうした日常のこと一つ一つにも体力の衰えを感じます。
実際にもう古希に手が届く年齢になっていて、
「もはやオバさんでもない……おばあさんじゃん!」
と、ふと我に返って呆然とすることもあります。先日は賞の授賞式でスピーチした後、檀上から降りる時に会場の人から手を貸そうとされて、おばあさんに見えているんだなあと実感しました。
しかし、なんといっても寂聴先生ショックは大きかったです。文壇というものは、年上の人がいっぱいいて、そういう人たちに擦り寄っていけばいいや、と思っていたのに、いつのまにか月日が流れて、年上の人がほとんどいなくなってしまった。
コロナの影響で直木賞の授賞式のパーティーが無くなった時にも、
「昔はここに渡辺淳一先生がいて、ご馳走もいっぱい出て、その後みんなで銀座に行ったなあ」
と急にノスタルジーに耽ったり。過去を思い返すと必ず寂しさに襲われますが、これからも過去とはつき合っていかなければなりません。
作家として、自分に残された時間はあとどのぐらいなのだろうとも考えます。あと十年かもしれない。そうしたら十年の間にいったい何を書けばいいのだろうか。……考えれば考えるほど暗澹たる気持ちになってきます。
プライベートでも仲よくしていただき、私の「知のアイドル」でもあった桐島洋子さんも認知症を公表されましたし、桐島さんの元夫で、うちの夫とも仲がよかった勝見洋一さんはALSで亡くなってしまいました。ウクライナの戦争も重なり、先のことを考えると不安で、どうしようもなく落ち込みました。
あまりに落ち込んだので、京都に熊を食べに行きました。
熊をたらふく食べて、ワインを夜中二時まで飲んで、一晩ぐっすり寝たら、自分の体力がまだまだあるのを確信して、すごく明るい気分になっていました。
熊が効いたのかどうかは定かではありませんが、老いとは、きっとこうしたことの繰り返し。そろりそろりと近寄っていくものなのかなあという気がしています。