いるべき場

イヤシノウタ(新潮文庫)

 昨日の記事に引用したお話にもつながりますが、ちがうことをしない、自分の居場所にいる、ということは大切だな~と思います。

 

 

P140

 全身ダイヤの服でメガネにまでダイヤがついていて、一回のパーティが終わったら処分してしまう人や、車を毎週乗り換えている人が、ブランドやディーラーと密接ないい関係にあるのもたくさん見てきた。

 こういう世界もあるが、こういう世界の廉価版では生きていきたくないと思った。

 かといって古着とか小綺麗だけど夢がないみたいなものにも全く興味がなかった。

 だから、そこそこ高いものと安いものをすれすれで組み合わせてわかる人にしかわからないということのスリルを楽しんでいる。

 たいていの場合失敗して、レストランではいちばん悪い席に座らされたり、なぜか居酒屋でいちばんなじんだりして、虚しいけれど自己満足はしっかりできるので、どうにもやめられない。

 このあり方って私の、自分の作品に対する態度にもすごくよく当てはまっている気がしてならない。

 その歳の自分に合い、その歳の自分が好きな色と、若干のトレンド風味(これは安いものでなんとかする)と、ベーシックな自分らしさ・・・と、長年使い込んだボロに近いしかし質のいい持ち物を、そのときにしかない形で組み合わせる喜び、それこそがきっと装う喜びなんだと思う。

 そしてそれらを身につけていっても理解してくれる、センスがいいねと思ってくれる、同じような人たちがいる場所こそ、自分がいるべき場なのだろう。

 それさえあれば、たとえアウェイにいるときにしかたなく合わせていたり、そこでばかみたいに見えても、気持が寛大でどうどうとしていられるように思う。実際、私は何回か面と向かってとんでもないことを言われたことがある。

「こういうお金持ちの世界をのぞいてみていかがでしたか?」とか「普段会うことができない人たちに会ってみるってどういう気持ちですか?」「あなたもこんな暮らしをしたいんじゃないですか?」とか。

 私は笑顔で「そうですね、小説を書く上ではたいへん参考になりました」「うーん、桁が違ってよくわかりませんでした」「やはり手が届きませんし、私は家で洗える素材の服が好きですね」などと答えるけれど、全く興味がないです、と心の中で思っている。それにその言い方ってとっても失礼だと思いますよ、と。でも彼らは大真面目に言ってくれているんだから、悪気はなさそうだ。そういうことを言ってくるのは、成金か武器貿易商人などちょっとあぶない仕事の人が多い。そんな世界にいるなら、ストレスもありそうだし、深く考えないで生きていかなくてはいけなくて大変だから、どうかお金で解決できる楽しみくらいたくさん持っていてください、と私はしみじみ思うのだった。

 そしてとても大切なことは、自分が自分の好きなものを着て、自然にふるまえる、そういう場所で使う金額の基準こそが、自分の人生で必要なお金の基準なのだ。ホテルの設備、航空会社の快適さ、家のどこにお金をかけるかなどなど、全てに当てはまる。つまりそれ以上は稼ぐ必要が全くないということでもある。どんどん稼げばいいという勘違いも、ここで解消される。

 まずは自分だ。自分がどういうことを好み、どのゾーンに属しているか。

 これさえ決まれば、なんと人生のパートナーも自然に決まってくるし、どのくらい稼げばいいかもわかってくる。