世界を変える

イーロン・マスク 世界をつくり変える男

 イーロン・マスクさん以外にも、こんな方々のエピソードも紹介されていて、すごいなーと思いました。

 

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 どれだけすごい発明でも、それを商品にするには大変な努力とエネルギーが必要です。

 ここでチェスター・カールソンという人物のエピソードを取り上げてみたいと思います。この名前を知っている人は極めて少ないでしょうが、彼が開発した技術の恩恵に与かっている人は極めてたくさんいます。

 なぜなら彼こそ、コピー機を発明し、特許を取得した人物だからです。

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 ・・・彼も例外ではなく、商品化までに筆舌に尽くしがたい苦労の日々を歩んでいました。

 もともとチェスター・カールソンは特許事務所に勤めていました。特許の出願には同じ書類を何枚も作らなければならないので、その作業がとにかく面倒で、うんざりしていました。

「この面倒な作業を何とかできないものか……」

 それがコピー機を発明する原点でした。

 彼は自ら実験を始めます。いろんな材料を試したり、トナーの粉を自分で何度も試作したりしながら、ついにカールソンはコピー技術を完成させ、特許まで取得しました。この時カールソンは31歳。

 ここまででも十分凄いのですが、問題はこの先です。この特許を生かし、商品化してくれる会社がなかなか見つからなかったのです。

 かつて、ソニー盛田昭夫さんが「発明と製品化の間には死の谷が待っている」と言いましたが、カールソンもまさに「死の谷」でもがき苦しみます。コピー機の特許話を持っていろんな会社を訪れ、売り込みましたが、どこも「そんなものはいらない」「誰が、そんなものを使うんだ」と言われ、門前払いの連続。

 そうやって苦労すること、なんと20年です。その間にカールソンの生活は苦しくなり、貧困生活に陥ります。挙句の果てには、奥さんにも逃げられてしまいます。

 それでもカールソンはコピー機の商品化を諦めませんでした。

 そんな執念が実ったのか、あるとき彼はハロイドという会社のウィルソン社長と出会います。ハロイド社はもともと事務機器を扱う会社だったのですが、なかなか時代に乗ることができず、業績が伸びずに苦しんでいました。

 カールソンのコピー機のデモを見たウィルソン社長は「何としてでもわれわれの手で商品化したい」と熱い思いがこみ上げ、同時に「相当な時間がかかるだろう」と覚悟を決めたのです。

 ハロイド社は開発人員をコピー機開発に振り向け、資金も投入して進めましたが、簡単にはいきません。ウィルソン社長の熱意とは裏腹に、次第に社員たちだけでなく、経営幹部のほぼ全員が、コピー機への社長の入れ込みように不信と不安を抱くようになりました。ハロイド社がコピー機の商品化に投じた額は、10年間の利益を合計したものを超えていましたから、「取締役たちが正気なら、コピー機の商品化という計画をボツにするのが当然だ」と言い捨てた社員までいました。

 しかし、そんな反論をはねのけ、すべての責任を背負ってウィルソン社長は突き進みます。

 そして、ついに世界初の普通紙複写機を完成させたのです。このときチェスター・カールソンは53歳になっていました。

 コピー機の完成と時を同じくして会社名もゼロックスと改称し、初号機である「ゼロックス914」はたちまち人気を博しました。後に、世界中に知られる大企業「ゼロックス」が誕生した瞬間です。

 その後の躍進は凄まじく、会社の売り上げは2年で2倍、9年で30倍にまで膨れ上がりました。

 ところで、スティーブ・ジョブズが起ち上げたアップル社の急成長を表現する際、「売上が10億ドルに達するまでのスピードが史上2番目に速い」とよく言われます。その1番目こそがゼロックスだったのです。

 

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 テスラで新しい電気自動車を開発する場合でも、スペースXで宇宙ロケットのコストを劇的に削減する場合でも、イーロン・マスクの口癖は常に「物理学のレベルまで掘り下げろ」です。イーロンの物理学的思考とは、他社のものまねではなく、ゼロから考えるということです。

 使用する材料一つとっても「なぜ、それがベストなのか?」「他に最適な材料はないのか?」と物理学のレベルまで掘り下げて考えていきます。

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 本質に立ち戻る姿勢は、日本料理の世界にも見られます。京都の老舗日本料亭「菊乃井」の3代目主人で料理長である村田吉弘さんは「料理は科学だ」という考えの持ち主です。

「料理は科学」とは、イーロン・マスクの「物理学のレベルまで掘り下げろ」と共通する部分があるように感じられます。

 慣習や伝統にとらわれることなく、科学的な論理で料理を考えていく。それを京都の老舗料亭の料理長がやるあたりが、非常に興味深いのです。

 彼の発想はおもしろくて、たとえば日本料理店が海外に進出して「味噌がない!」という状況になったとき、「味噌がないから日本料理は作れません」なんて言っていたら、いずれ日本料理は衰退してしまう。そんなことでは日本料理を世界に広めることはできない。

 だから、味噌がないなら「そもそも味噌がどんな成分で、どのようにできているのか」を予め研究しておいて、何か別の材料(現地にあるもの)で同じような成分構成を実現させ、味噌の代用をすればいい、そんなふうに考えているのです。

 そこまで掘り下げて「料理」というものを考えている人はなかなかいません。

 また、レシピはすべてデータベース化されていて、「菊乃井」の従業員なら誰でもPCから見ることができます。「先輩の技をこっそり盗むのが料理人だ」といった旧来の発想はありません。すべてを教えて、一日でも早く一人前の料理人になって欲しいというのが村田さんの考えなのです。

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 彼の根っこにあるのは「日本料理を世界に広めたい」という日本料理に対する純粋な思いであり、文化や風習の枠を超えてでも、そういうことをやっていかなければ日本料理は広まらないという危機感です。

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 村田さんもまた、本質を捉えることで、世界をつくり変え、未来を創造しようとする人物なのかもしれません。