変わった人たち

人生の終わり方も自分流

 世界は広いなーと感じられると、少し呼吸が楽になる気がします。

 

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 一九八二年、タイの田舎から突然一人の婦人が姿を消した。南タイのナラシワット州に住んでいたジャエヤエナ・ベウラヘンさんは当時五十歳をちょっと過ぎたばかり。いつも行っているように、気楽に国境を越えてマレーシア領に買い物に出かけたのだが、そのまま消息不明になったのである。

 それから二十五年、ジャエヤエナさんは突然思いもかけない土地で見つかった。彼女は誘拐されたのでも、家出をしたのでもなかった。彼女は買い物の帰りに、単に間違ってバンコック行きのバスに乗り込んでしまったのである。

 彼女はタイ語を喋ることも読むこともできなかった。彼女自身がもしマレー語ができたら、誰かに道を聞くこともできたかもしれない。しかし彼女はマレーシアではヤウィと呼ばれる方言を話すだけであった。そしてバンコックで彼女は再び間違ったバスに乗り込み、さらに七百キロ北のチェンマイに連れて行かれてしまったのである。

 そこで彼女は五年間乞食をして過ごした。一九八七年からは、北部タイのピサンヌローク州にあるホームレスの施設に送られ「モン小母さん」と呼ばれて暮らした。彼女の話す言葉が、北タイに分布するモン族の言葉と似ていたからである。そこで二〇〇七年二月初めまで、彼女は誰一人自分の言葉を理解してくれる人もなく暮らした。しかしついに、ホームレスのリサーチをする学生の一団とめぐり会った。その時彼女はいつも施設で歌っていた歌の一つを歓迎の印に歌った。それまで施設の職員たちは誰一人としてその歌詞を理解していなかった。ところが学生のうちの三人がそれはヤウィ語だとわかり、彼らが彼女の過去を聞き出したのである。

 通報を受けた家族は、長女と一番年下の息子を送ってきた。まさに奇蹟の再会であった。

 ・・・

 マレーシアの東トレンガヌ州で、二〇〇七年三月初めに行われた集団結婚式で十三歳の夫婦が誕生した。二人は不倫でもなく、「できちゃった婚」でもない。オラン・アスリ族の定住地の中で、隣近所に暮らしているスクリ・アリとマリアム・ディンであった。一カ月の交際の後、長老の勧めに従ってイスラム法に基づいて結婚を許されたという。二人はケンイール・ダムというところに狩猟のために出かけた時に一目惚れし、両親も特にこの結婚に反対を唱えなかった。

 花婿は青いシャツに白と青の格子のサロンにイスラム教徒のかぶる帽子、花嫁も青地に花模様の長着に白いスカーフを巻いたイスラム女性の姿で、祝宴のテーブルにはバナナやお菓子などが並べられ、笑顔の花嫁が花婿にお茶を注いでいる。マレーシアでは結婚は法的に二十一歳から許されるが、十八歳以下でも親の同意があれば結婚できる。さらにオラン・アスリの社会では、男の子でも女の子でも「成熟期」に達した男女は、結婚を認められるのである。

 こんな「物語」を私が紹介する目的はたった一つである。世界にはかくも変わった人たちがいるということだ。理解できない言葉を喋るお婆さんがいれば、この人は何語を話しているのかを探り出して、どこからどうしてここへ来たか調べるのが日本の社会だ。しかし全く言葉の通じない人が一つの国に住むのが、それほど異常とは思われない国も多いということを忘れてはいけない。

 ・・・結婚に関しても、国家の法律より部族の掟の方が優先する。これも珍しいことではない。

 納得しなくてもいいが、これほどに変わった人たちがいると理解することは必要だろう。・・・