沢木耕太郎さんと、何人もの方がお話したセッションが収録された本です。
こんな側面のある方だったと知らなかったので、特に尾崎豊さんの言葉が印象に残りました。
こちらは吉永小百合さんと。
P90
沢木 十代の後半で、すでに日本中の人が自分のことを知っているという可能性がある。それはどんな気持ちでしたか。重くはなかったですか。
吉永 そのころはただただ夢中で仕事していましたから。
沢木 別に意識しなかった。
吉永 そのころはね。たまたま経済的な理由から仕事を始めたものですから、そういうことを考える余裕がなくて。
沢木 立ち入った質問ですけど、経済的な理由というのは?
吉永 自分が上の学校へ行くためには、自分でやっぱり仕事を―仕事というかアルバイトのつもりだったんですけどね、しないといけないような家族の状態だったものですから。それがアルバイトにならなくなって、まったくの本業になっちゃったんですよね。
沢木 アルバイトという意識はかなり長くありました?
吉永 今でもね、完全にプロフェッショナルじゃないところがあるんですね。この世界で、みんなが見てる前でお芝居するっていうことをふっと考えたときに、何かとても恥ずかしいなっていう思いがするんですけど……。
沢木 しかし、にもかかわらず、結局何年やってらっしゃいますか。
吉永 そうなんですね(笑)。二十四年。
沢木 恥ずかしさにもかかわらず、二十四年もやってこさせた力は何なのでしょう。
吉永 やっぱり、違う人になるっていう面白さじゃないかな。そんなこと、この仕事しかできないことでしょう。本当に人生は一回しかないのに、私たちだけがいろいろな人の人生―それはかりそめの、ですけど、何人もの人生を経験できる、味わうことができるわけです。それは、恐ろしいほどに素敵なことですね。
尾崎豊さんと。
P111
尾崎 僕の根底にあるものは、誰かに支えられてる愛情だ、というのを強く感じるんです。で、逆にそれを僕も与えられるような人間になりたい、という願望がすごくあるんですよ。もちろん、だからといって聖人君子のような人間になれるはずもないし、いい人間だと思われたい、ということともまた違うんですけど。押しつけがましくない優しさを与えられる人間になりたいと思ってるんです。・・・
・・・
尾崎 ・・・これは感受性の問題かもしれないけれど、人間が生きていこうとする生き様っていうのは、幸せになりたい、というところに集約されてると思うんですよ。自分が満たされたい、という思いに。それに対して……。
沢木 ちょっと待って、そういう思いに対して尾崎さんは手助けしたいわけ?
尾崎 そうなんです。僕が幸せになるには他人も幸せでなくてはならない、という気持ちがあるんですよ。他人が不幸だったら、僕は完全な幸せを得られないだろうって。他人もそう思っていればお互いに噛み合うんですよ。でも、他人を不幸にしても自分は幸せになろうって考える人間がいないとも限らないし、実際はそういう人間にも会ってきたし。
沢木 尾崎さんが他者に対してそういうふうに思っているのは、とても素晴らしいことだと思う。どうしてかというと、僕も陽水もそこには断念しちゃったんだよね。その諦めの向こうに、やっぱりひとりひとりの恋文を書くよりしょうがない、と。そういうもので確実な手触りのあるものを作っていかなくちゃしょうがないと僕は思ったし、陽水さんも思ったと思うのね。だからまだ尾崎さんがある希望を持ってやっているのは素晴らしいと思う、仮にどんな裏切られ方をしようとね。それはある人たちから見れば非常に滑稽なことだと思うけど。
尾崎 いわゆる僕の話してきたことは理想ですよね。現実の自分を見てみると自己矛盾みたいなものを感じるけれど、根底としてね。で、本当に最近いい出会いがあって、本当にその人が幸せになってくれれば僕も幸せになれるという関係をひとつだけ僕が見つけることができたっていうかね。それは今までにない体験で……。
・・・
尾崎 ・・・最近の僕のキーワードは「知性と教養」なんですよ。それを高めていくことが人間として生きていくうえでもいちばん大切なことなんだ、と信念として思ってるんです。
沢木 なるほど。僕も半分以上そう思う。・・・それで?
・・・
尾崎 ま、そういったものを高めていくということが本当にいちばん大切なことだと思うし、その身の丈を高めていくということがね、非常に難しいことだ、という気もするんです。それはなぜかっていうと、その生活的なレベルでお互いの環境が違うからっていう部分で……。・・・
・・・
尾崎 ・・・どんな人を見てもこの社会に吞み込まれてるということを強く感じるんです。僕自身もそうだろうし。うまくいえないんですけど、どんなふうに生きていても、生きてる人たち全てが、究極的にいうと自己愛だけになっていって、その自己愛に燃え尽きようとしてる気がしてならないんです。
沢木 わかりにくいな、もう少し説明して。
尾崎 つまり自分だけを愛せばいい、と思って生きている、ということに尽きるんじゃないか、と。それに対して僕は非常に淋しさをおぼえるし、そういうふうに考えていると身の丈は高くならないんじゃないかっていう気がするんですよ。自己愛を持つことで傷つくだろうし、いろんなことを知るだろうけど、そのなかの身の丈まで辿り着く自己愛になっちゃうと、それより上にはいけない気がするんですよ。それより上に行くためにはやっぱり、他者へ、精神を突き抜けたところでの優しさを投げかけてあげなきゃいけない気がするんです。
沢木 わからないけど、その可能性はすごくあるよね、そうやったって身の丈は高くならないかもしれないけど……。少なくとも僕は、ある時それを断念したよね。
尾崎 防衛本能みたいのは絶対にあるし、それなくしてはある種のコミュニケーションは取れないだろう、と僕も思うんです。で、それをいかに受け止めて許してあげるかっていうのも……。大袈裟ですけど、僕が夢見てる世界の平和とかそういったことは、理想論の第一歩でしかないとは思います、現実化されないし……。なにかねー、本当に小さな嘘でも人は傷つくことあるでしょ。それを自分の心を強くして受け止めて、それがその人の生き方であり必要としている糧である、というふうに解釈してあげて、なおかつ自分が与えられるものであり、与えて欲しいと思う人間でありたい、というのが僕の願いなんです。
沢木 それはかなり以前からそういうふうに思っていたの?
尾崎 言葉にするのは今回がはじめてなんですけど。歌い始めることも表現するということも、ある意味で与えてあげる作業でしょ。自分が得をするよりも。だから、本当にあなたは好きなことをやっていていいですね、といわれるけど、逆の性質をもってるところがあるんですよね。それがやっぱりわかってもらいづらいところであり、難しいところですね。
沢木 なるほど。
尾崎 ―なんだか今日は、すごく楽しいな。
沢木 大変じゃなかった?
尾崎 全然。若年ながら、非常に横柄ないい方ですけど、ノンフィクションライターの方に僕の生き様というものを見て、判断していただくのもすごく必要なことだと僕には思えていたんで、全てのことを誠実に話せたんで、とても楽しいです。
