エンデと語る

エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書)

 ミヒャエル・エンデの本は好きですが、本人の語りは読んだことなかったなと思い、読みました。興味深かったです。

 

P71

子安 ・・・私の気になる言葉を『オリーブの森で語りあう』から取りだします。人間は、「人間だけの力で何もかもやってのけようと思う必要はない。世界には、ほかにいろいろな力が存在していて、それらが助けにはいったり、しかるべき条件をととのえてくれたりする」という、その「ほかの力」のことです。・・・

 

エンデ それを聞かれれば答えなければなりません。この言葉は、私の全世界観、全人間観の表明なのです。宇宙のひろがりのなかには、人間以外の存在・・・が、じつにおびただしい数でいるということ―昔は、それらの存在を神と呼ぶこともあった。あるいは天使とか。いや、どう名づけるかは、たいして重要ではない。とにかく人間より高いところに、さまざまな位階(ヒエラルキー)をもった叡智存在たち(インテリゲンツエン)がいます。それらの手が、私たち人間のすることに、ともに力をかしてくれている。彼らは、世界のための共同作業者たちです。

 

子安 エンデさんの本には、いつも必ず、いわばこの世ならぬところからの助けの手が主人公におりてくる場面が多いのですけれど、・・・エンデさんにとっては、一種の比喩の材料というわけではないのですか。ほんとうに高次存在として私たちに送ってくる力がある、ということの芸術表現なのですか。

 

エンデ はい、もちろんです。私たちの全世界は、いつも「橋のむこうの世界」から送られてくる力があってはじめて成り立っています。それでもひとびとは、そのもうひとつの世界などありえない、と思いこんでいるのです。そもそも世界成立を支えている背後の力を完全に否定するというのですから、現代人はパラドックスのなかに生きていることになります。

 ・・・

 ・・・どんなに奇異で謎めいて聞こえようとも、事実はあります。時間・空間の内部にあるこの世界、そこに時空に支配されない何かが、たえず突き入ってきているという事実―絶対にありえないはずなのに、しかしたしかに生じています。見たくなければ、見えませんよ。世の中に厳然として起こる事実のなかには、それをほんとうに見るためには自分の意志を働かせなければならない。見ようという気にならなければ見えない事実というのが、実際ありますから。・・・

 

P127

子安 マイスター・ホラは、心臓が鼓動をやめたときの人間について、「そのときおまえ自身は、おまえの生きた年月のすべての時間をさかのぼる存在になるのだ。人生を逆にもどっていって、ずっとまえにくぐった人生への銀の門に最後にはたどりつく。そしてその門をこんどはまた出ていく」といいます。そのむこうは、モモがかすかに聞きつけていたあの音楽の出てくるところで、死のあとは「おまえもその音楽に加わる。おまえ自身がひとつの音になる」とまでいう。それからモモは、いよいよ「時間の花」を見ます。永劫に一輪咲いては散り、また一輪新しく咲く。・・・