ビートルズを呼んだ男

ビートルズを呼んだ男 (小学館文庫)

 ふと目にとまって読んでみました。

 伝説的プロモーター永島達司さんにまつわるノンフィクション。

 面白かったです。

 

P355

 永島はマスコミに出るのを避けていた。ビートルズの来日について質問を受けても「もう済んだことだから」と首を振るだけだった。その永島がスポーツ紙、週刊誌、テレビのワイドショーに姿を現したことがあった。それは一九九五年のことで、彼は俳優の本木雅弘、也哉子夫妻の結婚式で仲人を務めたのである。

「内田(裕也)さんも私も娘の仲人を頼むとしたら、永島さんしかいないと思ったの」本木夫人の母であり、女優の樹木希林は「でもお願いしようと言い出したのは内田さんの方なんです」と言った。

「芸能界で成功した人というのは強引な人が多いけれど、永島さんはシャイで内気な人です。それに背が高くて格好がいいし、洒落っ気もある。私は娘に、永島さんと縁のある世界中の人たちを取材して一冊の本かテレビのドキュメンタリーにすればいいんじゃないかと言ったことさえあるんです。いい作品ができるでしょうし、それに永島さんと親交のあった人たちに若いうちに会えるだけでも勉強になると思ったから。永島さんというのは、会って話をすれば、ああ、こんな人が日本にもいたんだと嬉しくなるような人です。永島さんが仲人を承知してくださって本当にありがたいと思いました」

 樹木希林が永島に初めて会ったのは一九七五年、ロック歌手の内田裕也と結婚したすぐ後のことだった。

 彼女は内田から「実は永島さんに借金がある」と打ち明けられ、すぐに銀行へ行った。自分の通帳から現金を下ろして永島のオフィスを訪ね、内田の代わりに全額を返した。永島は「希林さんはよくできた人だ。裕也は果報者だと思った」と彼女のきっぷの良さに感心していた。

「永島さんに仲人をお願いしたのは、私にとって結婚や家族がとても大切なものだから。何よりも大切な行事だと思ったから、仲人は私が知っているなかで最高の人にやっていただきたかった。

 最近の人たちってみんなナルシストになっちゃったでしょう。役者だけじゃなく、普通の人も自分のことにこだわる。一生懸命、自分のことを見てしまう。自分自身について愛情を注いでしまうから家族や子供になかなか関心が向かないのかな。それで結婚を大切にしなくなったのかしら。

 私は本木さんが結婚して子供ができて、家族を愛している姿を見て、ああよかったと嬉しくなりました。役者なんてみんなものすごいナルシストでしょう。それが見事に自分よりも家族に愛情を注ぐようになった。私には、当たり前の生活をしながらなおかつ優れた感性を持つ人が、素晴らしい仕事を成し遂げると思えるの。特殊な生活をしながらすごいものを作る人にはどことなくいんちきな匂いをかいでしまう。女優でも『あの人変わってるわね』で片付けられるような生活をしている人が、果たしてちゃんとした人間を演じられるのかと疑問を持ってしまう。私は普通を目指してなるべく普通の生活を送って、そのうえで自分独特の個性を仕事のなかに表現したいと思っているんです」

 内田家の婿養子となった本木雅弘は、仲人を頼みに行くまで永島とは面識はなかった。

「私も妻も結婚式はオーソドックスで厳粛なものにしようと話し合っていました。出席者は私の友人よりも、仕事の関係者の大人の方々が多かったからです。そういった式の時に仲人をお願いするとしたら、この方しかいない、お目にかかってすぐにそう思いました。永島さんは本当に謙虚な方なんです。式の最中もずっと『本木君、仲人なんて大役を僕でいいの』とそればかり繰り返しておっしゃってました」

 本木夫人の也哉子は小さい頃から永島を知っており、仲人をやってもらったことに感激したという。

「私にとっての永島さんは足長おじさんという感じでした。素敵なおじさんです。私、とっても気にいってる写真が一組あるんです。一枚はまだ小さい私がロリポップをくわえて写ってる。もう一枚は私を抱いた永島さんがロリポップをなめている。雅樂が生まれた時も両親の次に永島さんご夫妻のところに報告に行きました。ご夫婦とも素敵で、私はあんなふうに年をとりたいわ」

 本木夫妻の話を聞いていると、七夕の日に明治神宮で行われたふたりの式が目に浮かんでくるようだ。背の高い永島はその日のためにあつらえたモーニングを着て、背筋を伸ばし、ふたりを先導したという。本木も結婚式以来、急速に永島に魅かれていった。

「一度、永島さんに、夢は何だったんですか、みたいなことを尋ねたことがあるんです。すると、『夢?夢か。僕自身は特別にやりたいことは何もなかったんだよ』と答えられました。そうかもしれません。永島さんは才能があって、信頼の置ける雰囲気を持っていたから、人がたくさん集まってきた。集まってきた人たちは良くも悪くも自分たちの欲望を永島さんにぶつけて、それをあの方はうまい具合に消化して形にしたんじゃないかな。永島さんという存在がいろいろな仕事を実現させる力だったのだろうけれど、本人が何かのためにがむしゃらに突き進んだということはなかったように思うんです。こんなことを僕が想像するのは生意気な話ですけれど」

 

P377

 ・・・「網走番外地」など高倉健の曲はすべて永島が管理していた。

 高倉は「(江利)チエミのマネージャーだった永島さんなら安心できる」と版権管理をゆだねた。・・・

 ・・・高倉健は私に「永島さんは尊敬する日本人」と語った。

 どうしてですかと尋ねたら、「英語が上手で、かっこいいじゃないか」と笑った。高倉健が「かっこいい」と表現した男が永島達司だ。