僕はいかにして指揮者になったのか

僕はいかにして指揮者になったのか (新潮文庫)

 ご本人の音楽への熱意も、バーンスタイン小澤征爾といった方々とのエピソードも、興味深く読みました。なんだか元気が出ました。

 

P131

 ・・・音楽に携わる者として、才能がないことがわかってもなお「私は××××オーケストラの指揮者です」と、指揮者という仕事にしがみついてはいたくない。また、そうやって指揮者であり続けることほど惨めなことはないと思っている。

 それに僕は、たとえ今指揮者を辞めても、何か別の仕事をして生活していくことができるという自信もある。ラーメン屋で働くのもいいだろうし、マクドナルドに勤めてもいいと思っている。

 もちろん、そういう仕事が楽だからと思っているからではない。マクドナルドでアルバイトをしたとき、学生でありながら責任職に就いたこともあって、かなりキツイ仕事だということも知っているつもりである。

 何かにこだわったり執着したりすることより、常に、昨日までの自分、それまでの自分の枠を取り外すことができるかどうかを考えて行動するのが大切なのではないかと思うのだ。

 どんなに地道に築き上げてきたことがあったとしても、いつも自分が作った世界から一つ上の世界へ上がっていけるか。それは、決して世間で言うところの地位や名誉ではなく、そういうことにどうチャレンジしていけるか。そこに、生きることの喜びがあると思う。そして、僕にとっては、それが音楽の喜びにつながっていくような気がするのだ。

 この話をすると、母親に叱られそうなのだが、ウィーンに留学している間のことである。レニーの演奏旅行について三、四ヵ国行くうちに、自然と小銭が貯まってきてしまい、あるとき、その小銭を一気に捨てたことがあった。

 僕は、「いつか使うやろ」と思ってビニール袋に貯めていたのだが、ときどき小銭の入ったビニール袋を眺めては、「この一円ぐらいのお金って何やろう」と考えるようになった。

 いつ使うかわからない国の小銭を残しておいて、いったい何になるのか。〝一円〟のコインそのものは無駄にしないでいられたとしても、もっと他のことで、一円以上のお金を無駄にしていることがたくさんあるのではないか……と。

 よく、〝一円を笑う者は一円に泣く〟などと言うが、もしかしたら僕は、そうしたことで何か自分の枠を作ってしまっていたのではないのかと思い始めた。

 タングルウッドでレニーに出会い、思い切ってウィーンに来たことで、それまで自分のいた世界がどれだけ狭かったかということに気づくことができた。そう思うと、この〝一円〟を思い切って捨てることで、何かまた一つ、自分で作った垣根を越えられるような気がしたのである(お母さん、ごめんな)。

 

 こちらは巻末の林田直樹さんの解説です。

P256

 佐渡さんを初めて観たのは、本書でも出てくるが一九九〇年のアリオン賞授賞式でのことだった。・・・

 記者会見を終えて帰ろうとすると、出口のところで大きな声が聞こえた。「佐渡裕と申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!」。何回も何回も繰り返している。見ると、ドアの前で、音楽記者やジャーナリストの取材者全員一人一人に、大きな身体をくの字に折り曲げて、初々しさを撒き散らしながら、恐ろしくていねいに挨拶している佐渡裕の姿があった。

 あのフレッシュな姿はいまも目に焼き付いている。そしてその初心は、いまも佐渡さんの中に生き続けていると思う。

 ごく最近のことだが、あるとき佐渡さんは私に向かって自分のことを、ごく自然に「未熟」だと言った。佐渡さんは、あれだけの実績を積みながらも、自分はまだまだ勉強不足であり、知らないことがたくさんある、ということをこれっぽちも隠さない人なのだ。

 これは大変立派なことだと思う。自分は何でも知っているし詳しいんだということをことさら言う人よりも、佐渡さんのようにあけっぴろげに「ようわからん」という言葉を素直に言う人の方が、実はこれからもっと勉強するだろうし、「伸びしろ」のある、より大きくなる人なのではないか。

 正直いえば、日本には佐渡さんのほかにも優秀な指揮者はたくさんいる。世界にもバーンスタインの愛弟子は大勢いる。なかには、佐渡さんよりも、もしかしたらずっと頭の切れる(佐渡さんごめんなさい)、テストだったらずっと高い点をとりそうな指揮者だっているだろう。

 だが、その一方で、その秀才指揮者たちが、「なんであんな奴が!」と歯噛みしてくやしがりそうなサムシングを佐渡裕は持っていることもまた、確かなのだ。そこを巨匠バーンスタインは認めたのだろう。本書を読めば、その不思議なサムシングの一端を、うかがい知ることができるだろう。いま読んでも、まるで冒険活劇のように面白い一冊である。ブザンソン国際指揮者コンクールのくだりなど、もしかしたら『のだめカンタービレ』はこの本を参考にしたのではないか?と、つい考えてしまったほどだ。