その通りだなと思ったところを書きとめておきたいと思います。
P214
「自己責任」という言葉がよく言われるようになったのは、いつのころからだろう?
・・・
思わしくないことが起こると、つい社会のせい、周囲のせい、会社のせい、上司のせい、部下のせい、教師のせい、親のせいにしがちな自分を、自分自身で律するために使うには、いいだろう。
・・・
しかし、これを他人に使うとき、殺伐としたものを感じるのは、わたしだけ?
「格差」の拡大、弱者切り捨ての政治を擁護する立場のように聞こえるし、事実、それを社会的に黙認させてきた言葉じゃないだろうか。
それだけではない。最初、この言葉は、おもにエリートたちが弱者に対して用いることが多かったのだが、今それが、ブーメランのように、自分たちに跳ね返ってきているそうだ。
つまり、一度、つまずいただけで、「自己責任」だからと、挫折しっぱなしになってしまうというのだ。
・・・
失敗したとき、うまくいかないとき、誰かに助けを求めればいいのに、「自己責任」だからと、自分を責めてしまう。自分を責めてなんとか結果を出せばいいのだが、結果を出せないまま、ただ挫折して終わってしまう。
「自己責任」という言葉の重圧に、すぐ折れてしまうのだ。
自分にそれだけ厳しい(?)のだから、他人に対してはもっと厳しくなる。
そうでなかったら、がんばってどうにか致命的なマイナスを出さないでいる自分が「損」したような気になってしまう。だから、他人の失敗を必要以上に責める。「自業自得」だと突き放す。
でも、それでは、ちょっとしたチャレンジもできないんじゃないか?
・・・
それともうひとつ、自分に対してであれ、他人に対してであれ、うまくいかなかったときに、「自己責任」「自己責任」と強調する裏側には、うまくいっていることはすべて、「自分のおかげ」という思い上がりがあるからじゃないかな。
でも、現実的には、たいていのことは
「自分のせい」と「周りのせい」が五分五分といったところ
じゃないかと思う。
「周り」の中には、いわゆる「運」も含む。そして、「たいていのこと」というのは、悪いことだけじゃなくて、いいことも。
そう思って、自分にも他人にも少しは優しくなれればいいのだけれど。
P220
・・・人間関係については、
想像力がすべて、と言ってもいいかもしれない。
相手の事情、相手の気持ちを「想像」する。いわゆる「相手の立場に立って」というやつだ。
わたしたちは、「自意識」によって、自分を中心に世界を見て、解釈しているわけだけれど(だから、「わたし」が死ねば、それと同時に、「わたし」にとっての「世界」は消滅する)、同じように、他者もまた、その人の「自意識」によって、その人の世界を見ているわけで、「その『世界』が必ずしも、わたしが見ている世界と同じであるとは限らない」ということを想像できるかどうか、ということだ。
これを格好つけて言えば、「多様な視点を持つ」「多様な価値観があることを受け入れる」ということになる。
・・・
要するにそれは、・・・マナーや論理的思考の問題ではなく、愛の問題だ。
それがないと、「こういうときには、こうしなさい」「これするときには、これに気をつけて」「こういう人には、こう言いなさい」と、永遠にマニュアルをつくり続けなければならなくなる。
つまり、
愛とは、相手の自己中心性を想像すること。
想像力とは愛だったのだ。
P256
ディスカヴァー・トゥエンティワンの編集方針、マーケティング方針、社員の行動指針は、まさに、社名そのものだ。すなわち、ディスカヴァーの語源である、DIS+COVER カバー(覆い)をディする(外す)!
で、覆いを外すためにどうするか?視点を変えるのである。
で、次のキャッチフレーズを掲げている。掲げているだけではなくて、かなり社員や読者の方の間にも浸透しているように思える。
視点を変える 明日を変える
事実は変わらない。しかし、視点を変えることによって、世界は変わる。
・・・
視点を変える方法の第一は、
もともと先入観を持っていない領域のことをおこなうこと。
・・・
では、もう今の仕事を知ってしまっているんですが……という場合はどうするか?
というわけで、
視点を変える二つめの方法は、前提を疑う。
「そもそも、それって何のためにあったんでしたっけ?」
と、そもそもの目的に立ち戻ることだ。
・・・
三つめは、これは正しいかどうかは知らないが、わたしがいつもやって(しまって)いるのは、
逆張り!
今流行っていること、みんながやっていること、
思っていることの反対をいくこと。
いや、反対というのは、かなり控えめな表現だ。
反発すること、と言ったほうがいいかもしれない。
・・・
・・・一般に言われていることに、「いやちょっと待てよ、そうじゃないかもしれない」と真逆な視点を持ち込むことで、新しい展開を見ることは珍しくない。
少なくとも、所詮ミドルメディアの書籍の世界(だって、初版数千部で終わってしまう本だらけの現状、とてもマスメディアとは言えないでしょう?)においては、マスコミの主張に押しつぶされがちな少数派の意見をすくい上げることも大切な機能となっている。
・・・
さて、ともかく出てきた企画、解、アイデアをどう判断するか?あるいは複数出てきた案のどれを採用するか?まさに、個人や組織のミッションに関することなのだが、できればそれは美しいものでありたいと、わたしは思っている。
美しいというのは、いわゆるアート的な美しさというのではない。もちろん、デザイン的に美しい、というのもあるが、それ以上に重要なのは倫理的な美しさだ。
・・・
人の行為として美しいか?
会社のあり方として美しいか?
自然界のものとして美しいか?
・・・
最後に、美しい仕事をするためにわたしが大事にしている、とっておきの秘訣をシェアしよう。
それは、
何を出すかではなく、何を出さないか。
何を言うかではなく、何を言わないか。
・・・
わたしたちは、何をするか、何を言うか、にばかり気をとられてるけれど、とどのつまり、何を言わないか、に、その人が表れるし、わたしたち自身も、そうやって相手を判断しているはずだ。
何を言うかではなく、何を言わないか。
何をするかではなく、何をしないか。
そこに、その人の美学が表れる。