料理と利他

料理と利他

 土井善晴さんと中島岳志さんの対談本。

 興味深かったです。

 

P42

中島 自力とかはからいのなかには、真の利他みたいなものを邪魔してしまう、いいことをやろうみたいなものこそ、実は利他から遠ざかってしまうというですね、そういう問題があるんじゃないか。・・・僕は人にありがとうと言われて満足するものが本当の利他ではないのかもしれないと思っているんです。

 ・・・

 ・・・「ありがとう」という言葉が等価交換になってしまうからだと思っています。それは贈与の本質からずれる。「ありがとう」と言ってもらいたいというはからいの世界に取り込まれてしまう。利他は「ありがとう」と言われて満足する世界を超えているはずです。そのあたり、土井さんはどういうふうにお考えでしょうか?

土井 なにかの本で読んだお話です。アイヌの世界には物にも魂があります。アイヌの持ち物を、客から分けてほしいと請われたとき、それを一度神棚に置いて、客からわずかなお金をとってお金を神棚に置いてから、客に物を渡したそうです。物との縁を切るときに、お金を使うのです。中島先生はとても、感受性が豊かな方だと思います。

 私の場合は、料理するという行為そのものが愛情なんだということですね。料理する=すでに愛している、料理を食べる=すでに愛されている、という関係性が完全にある。すべての美しいものというのは、ひとつだけでは美しく輝かない。・・・

 

P46

中島 ・・・僕は、人間というのは本当は器なんだと思っているんです。仏教的な考え方で言うと、「私」なんていう絶対的な実体は存在しなくて、常に私は縁を得ながら変化する現象として存在していると。私になにかがやってきて私のなかにとどまっているんだという感覚が、仏教的な感覚だと思うんです。

 たとえば、志村ふくみさんという染織家の方がいらっしゃって、人間国宝の方ですが、志村さんは、自分がなにか色をつくっているなんて思ったことがないと。色がやってきて、私を通して出ていく、という言い方をされるんですよね。・・・私は土井さんは器として、料理をされているのではないかなあと思ったりするのですが。

土井 そのへんはね、わからないけども、・・・手の仕事というのは、本当に正直だと思うんですよ。食材に反応して動く手というのは、人間の心とつながっていて、あんまり頭とつながっていないんじゃないかと思っているんです。・・・

 ですから、なにか自分に取り柄があるとしたら、あんまり昨日の自分に頼らないで、今日初めて料理するんじゃないかという気分でいつも臨むところですかね。だから、おいしくできないかもしれないとか、不安はあるんですよ。・・・でも、一生懸命相手に接するというか、素材と対話するみたいなことをするんです。

 それは力みではなく、なんかお芋が気持ちよさそうにしているなぁ、というようなものです。強引に「はやく柔らかくなれ」と思って火を強めても、おいしくなるどころか、崩れてなくなってしまう。優しく対話し、感覚と経験に照らして判断をくりかえしながら、視覚的、嗅覚的、聴覚的、触覚的に現れる「きれい」に導かれて調理する。優しく優しく豊かにしてやることで、非常にご機嫌な顔を見せてくれるわけですよね。

 そのあたりは、自分の経験のなかで、あ、こっちのほうがいい、こっちのほうがいい、といつも判断していて、微妙にいつも違っている。そうすると、おいしくできないこともあるかもしれないけども、「あ、きれいになった、きれいになった」みたいな気持ちでやると、結果としておいしさはついてきます。

中島 うしろからやってくる力というものに、土井さんはずっと開かれていると言うんですかね。近代人は、自分は自分はという感じで、コントロールしがちですよね。

 ・・・

土井 それって、自分がある程度その域に達したのは、六割ぐらい、もうあとは自然にお任せっていう、自分の力ではどうにもならないっていうところを、もう最初から諦めているんですね。ああ、もうこんでいいわ、と。あとはもう、今日はおいしいかどうかというのはその日の運みたいな、結果としてついてくるというかね。だからおいしさを望んでないですね。おいしくなくてもいいという、家庭料理はそんなにおいしくなくていいんだよ、みたいは発言もそこからくるんですけども、実際に結果というものは受け止めたらいい。

 でも、自然のことだから、まずくなりようがないんですよ。味付け忘れたっていいんです。濃いのはちょっと問題ありますけど、味が薄かったら、ちょっと醤油かけて勝手に食べてもらったらいいと。・・・

 

P56

中島 やはり、土井さんのひとつのキーワードは「きれい」という言葉ですよね。僕もなるほどなぁと思って努めているんですけれども、魚屋さんとかで並んでいてきれいだなぁと思うものがあったらそれを買うたらいいと。「きれい」ということと和食、日本のご飯はつながっているんですね。

土井 和食はそうです。それに、さっきの民藝もそうですが、みんな美の問題なんです。・・・「きれい」という言葉は、噓偽りのない真実、悪意のない善良なこと、そして美しいこと。人間にとって大切な真善美を「きれい」という言葉一言で表します。「きれい」は、お料理の健全性を保つとても大切なものです。・・・