なるべく、なにもしない

いのちのエール - 初女おかあさんから娘たちへ

 大事なことだなぁ・・・と思ったところです。

 

P131

 初女さんはよく「なるべく、なにもしない」とおっしゃるけれど、「なにもしない」ということは普通の人間には無理だ。人はみんななにかしよう、どうにかしようともがいて生きている。わたしはそうだ。子どもの成績が悪いからなんとかしなくちゃ。顔にシワが増えたからなんとかしなくちゃ。この世の中が悪いからなんとかしなくちゃ。原発再稼働なんとかしなくちゃ。自然が破壊されるなんとかしなくちゃ……。なんとかしようとしてしまう。

 初女さんのように「こうなったらいいなあ」という願いを淡くもちつつ、いつかそうなると確信し、願いの方向に心をしっかり向け、安心して落ち着いて日々を生きるなんて、それは、並の生き方ではありません。聖人の生き方。上の上の生き方。

 ・・・

 初女さんの著書『おむすびの祈り―「森のイスキア」こころの歳時記』(集英社文庫)の、わたしの大好きな一節。

 

 私は、

「あなたは切り替えが早いね」

 とよくいわれます。自分でもずっとそうだと思っていたのですが、ある頃からは、「切り替え」という言葉より「展開」という言葉が好きになりました。

 「切り替える」というのは、一方的に区切りをつけて、他方は破ってしまうという感じがします。これに対して「展開」していくという言葉の中には、何かに区切りや見切りをつけるのではなく、それまでのプロセスをすべて含みながら新しく広がっていく、もう一歩はばたく、もう一歩開いていく、そんな意味を感じます。

 私は何歳になろうと、「展開」していきたいと思います。今日と同じ明日は嫌いです。どんなに些細であっても、今日と明日は違うものであってほしいのです。ですから、七十歳を過ぎた今でも、精いっぱいできることをしています。そのように心がけていると、朝と昼、昼と夜、昨日と今日、今日と明日の間に必ず気づきがあります。毎日、気づきをして、気づいたことに忠実に沿っていく。それがどんな些細な気づきであったとしても、何十年もの間には大きな積み重ねになります。

 

 いくつになっても、気づきがある。

 初女さんは、七十歳で森のイスキアを始めた。

 なんだってできる。思えば叶う。

 ゆっくりは、怖くない。怖いのは、止めてしまうこと。

 

P167

 その日、初女さんはぬか床について語った。ふだん、ことばの少ない初女さんには珍しいことだった。

 どうしても伝えたい、という、強い意志が伝わってきた。初女さんは、なにか大事なことに気づかれて、それを必死でことばにしようとなさっているんだと思った。

「ぬか床というのは、いろんな野菜を漬けると、どんどんおいしくなるのね。きゅうりはきゅうりのまま、なすはなすのまま、にんじんはにんじんのまま、それぞれの野菜がそれぞれの野菜のまま、ぬか床のなかで醸されて、お互いがお互いのおいしさを引き出しあうの。ぬか床の菌も、野菜も、みんなお互いに助け合っているのだけれど、だからって、なにもしていないの。なにもせずに、ただ、ぬか床のままで、あるがままにいるだけで、おいしくなって、それぞれに、それぞれを助けているの」

 

P216

田口 ・・・初女さんは、あんなに人に合わせて、人の話を聴いていて、ストレスが溜まらないのかしら、なんて心配していたのは、とても身勝手な、というより自分だけのものの見方だったなって感じています。初女さんは、もちろん人の話をよーく聴いていらっしゃるんだけど、そこに同情がないんですよね。

 

初女 ああ、そのしゃべる人にね。はい、自分で判断したりしないですね。

 

田口 それを分からなかったの。私は、同情ばかりして疲れちゃうんです。だから自分のストレスになってね。

 

初女 そう。で、嫌になってくるんですよ。相手の話を聴いて、さらに今度何かしてあげようと思う、ますます、自分がダメになってくるんですね。

 

田口 何かしてあげたいと思う気持ちが出てくるのも、これもとても身勝手な思いなんですよね。実はね。

 

初女 そうそう。相手がそれを望んでいるかどうかっていうことですよね。聴いてもらえば一番でないかしらね。後、気づいたら自分で今度やるからね。

 

田口 うん、そうです。みんな、聴いて欲しいんですよね。これが、出来ないんだなあ。

 

初女 本当?(笑)

 

田口 何かしなくちゃって思っちゃいがちなんですよね。解決を一緒にしなきゃいけないとか、解決策を提案してあげないと、とか……。できもしないことをしようとしてしまうんです。そして、潰れるんです。

 

初女 大抵そうなっていくんですよ。

 

田口 そこがね、違うんだってことはわかりました。