流れの中に

料理と利他

 流れにのって、自然と響き合って・・・印象に残ったところです。

 

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土井 ・・・私は味見というものはこのごろほとんどしないんですよ。だけど、人に出すということになると、ちょっと味見をしたくなるんですね。相手というものが入ってきたときに、ちょっと大丈夫かなと、確認が入ってくるんですけども、自分や家族が食べる範囲だと味見しないんですよ。でもおそらく大丈夫だという、ほとんど確信がある。その確信と現実との誤差を知るために味見をするんです。・・・

中島 僕みたいなものすごい素人が土井先生にこんなこと言うのはすごく恥ずかしいですが、僕みたいなへたくそでもですね、今日うまいこといったなぁと思う日はだいたいおいしいですね。

土井 そうそう、流れにのっているんです。もうすでにね、自分はぜんぶ知ってるんですよ。でも、他人という世間ができたときに、不安になったり、喜んでくれるかな、もうちょっとこうだったらええんちゃうかなっていうのは、自分が頭で考え出していることで。でもやめたほうがええのにっていうことなんて、私見ていたらよくあるんですけど(笑)。あと見極めているというのは、本当に自分で、ああ気持ちええとか、流れがよかった、でもいいんです。ああきれいだなぁという瞬間にポンと止められるというのが、これはもう間違いなくおいしいんですよ。

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 ・・・和食はきれいなものを食べるというのがあって、いわゆるお酒づくりとかでも日本は「清酒」と言うでしょ。清らかなお酒をつくる。清らかであればいい。味のええお酒をつくろうというよりもきれいなお酒をつくろうとしてつくってきた。・・・

中島 清酒もそうですし、素材からいろんなものをつくるプロフェッショナルの方に土井さんは心を寄せていらっしゃるところがあって。僕も『一汁一菜でよいという提案』を読んでいておもしろいなと思ったのですが、味噌づくりのマイスターの雲田實さんについてこうおっしゃっていて。「『良き酒、良き味噌は人間が作るものではない、俺が作ったなどと思い上がる心は強く戒めなければならない』と口癖のように言う実直な人柄」だったと。みんな同じですね。自分がつくったというのは思い上がりであると。

土井 和食をやっている人はみんなそうなんですよ。和食というのは、「ああ、ええ料理つくってくれはった、おおきに」、「いやいや、今日は素材がよかったんですよ。今日はええ鯛とれたから」というようなね、みんな自分のせいじゃないと言うんです。

 だから、自分というようなものをなくすというところに日本の文化があって。でもそれって、たとえば結婚するにあたってもね、自分たちは結婚する「ことになりました」って言うでしょ。二人の意思が強くってということではなくて、まわりがそういうふうに整ったから、「二人はこうなりました」という言い方をしますよね。こういう思考法がなぜか私たちには備わっているように思います。

中島 意思というものがすべてを決定しているという観念に僕たちはとらわれすぎていて、むしろアジアの古層のようなものを探っていくと、そうではないものがいっぱい出てくると思うんですね。

 ・・・僕は「与格」という文法のことをよく考えています。僕はインドのヒンディー語という言葉を勉強していたのですが、ヒンディー語は「~は」でふつうはじめる文章を、「~に」ではじめたりします。たとえば、「私はとてもうれしかった」という文は、「私にとても大きなうれしさがやってきてとどまっている」という言い方をするんです。私がなにかうれしいと思ったんじゃないんですよ。私にうれしさがやってくるんです。

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 ・・・私が思いをコントロールしているのではないんですよね。「思い」って、宿ったりとか、突然やってきたり、思いが巡るという言い方をしたりしますが、そんなものとして私たちは主体を捉えている。・・・

 

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土井 さっきも言った美の問題というのが、ちょうどよい加減というものです。それは自分ひとりが決めるんじゃなくて、空を見上げて、今日のお吸い物は塩で決めるのか醤油で決めるのかという、これを感じて、その気分で味を決めるわけです。これはいつも違うんですよ。だから、プロの料理人は毎日同じ仕事ができる、ぱっと握ったら米粒を何粒握れる、というふうに言うけれども、それがいいんじゃなくて、いつも変えられるのが本物です。いつもちょうどよく、相手の顔を見て「ああ、ちょっと……」ということで握りを変えるとか、水加減を変えるということが、なにか頭で考えるのではなくて、「想う」ことにすごく大事なことがあるんです。

中島 それが、土井先生の料理が自力の料理じゃないというんですかね。力まかせに料理をやるのではなくて、今日のテーマなのですが、自然に沿うということですね。自然のほうからやってくるものとどう呼応するのか、という人間のあり方ですね。よく先生は「だいたいええ加減でええんですわ」とおっしゃっているんですが、この「ええ加減」というのは、実はすごく前向きでポジティブな、すごく哲学的な、ハーモニーという意味ですよね。

土井 オー、うれしい。ありがとうございます。