寂しい生活

寂しい生活 魂の退社

 稲垣えみ子さんのエッセイを読みました。

 空気や風や湿度、匂い・・・感じられる状態でいたいです。

 

P104

 ・・・この6年間の間に、私はある能力を身につけた。というか、知らぬ間に身についていた。

 それは、気象庁の発表によらずとも、自ら「梅雨明け」のその日を察知する能力である。まあ数日後には発表されるわけだし、何の役にも立たぬ能力だが、それでもこれは本当のことなのだ。

 朝、家を出て歩き出すと、昨日まで重かった空気の粘り気のようなものが、明らかに軽くなっていることに気づく。空を見上げると、天井が抜けたような突き抜け感がある。あ、梅雨が明けたんだなと思う。すると数日後、ニュースで「気象庁は〇〇地方が〇日に梅雨明けしたと見られる、と発表しました」と流れてくるというわけだ。

 梅雨明けだけではない。

 8月のものすごーく暑い日にふと「あ、秋が来たな」と思う時がある。

 圧倒的な勢力を誇っていた暑さのなかに、ほんのほんのわずかだけれど秋が忍び寄っていることに気づくのだ。それは、そこはかとない空気の変化であったり、虫の声であったり、あるいは雲の様子であったりする。あれほど傍若無人に振る舞っていた夏もついに負け始める時が来たんだなあと思うと少し切なくなるのである。

 そして2月のめちゃくちゃ寒い日に「あ、春が来たな」と思う。厳しいけれどこのうえなく清潔な冬の空気の中に、ほんの少し、あの騒がしい春の気配が感じられるのだ。それは寒がりの私には嬉しいしるしに違いないのだが、やはり物悲しくもあるのである。

 しかしこうなってくると、もはや仙人の領域ではないだろうか。しかしもちろん私はただの凡人。だとすれば冷暖房のない古の人たちはおそらく皆、仙人の領域にいたのである。住民皆仙人。それはどんな社会だったのかしら。

 でね、近頃、「最近の日本の天候はおかしい」「季節が夏と冬だけの両極端になって、春や秋がなくなった」とか言う人が多いけれど、いやいやいやそんなことないよと仙人は思うのだ。もしかすると客観的なデータとしてそういう数字が出ているのかもしれないが、それにしても、春も秋もちゃんと存在してますよ。

 冬が終わったら、夏が来るまで春である。夏が終わったら、冬が来るまで秋である。それは、行ったり来たりしながら少しずつ変化する移行の季節なのだ。暑さ寒さと正面から立ち向かい、その一つ一つの行ったり来たりを一喜一憂しながら味わっていると、それは本当に味わい深い変化の季節なのである。

 ちょっと暑いから、ちょっと寒いからとエアコンのスイッチを入れているあなた。もしかするとあなた自身が、自分の身の回りからこの素晴らしい変化を排除し、春と秋を消し去っているのかもしれませんぜ、っていうか、絶対消し去ってるよ、それでもいいんですかというのが仙人のお告げであります。