ヘヤー・インディアンとその世界

ヘヤー・インディアンとその世界

 何か他の本を読んでいたときに、この本のことを知り、興味を持ちました。

 1961年~63年にかけてのフィールドワークを元に書かれたものです。

 冬はマイナス40度とかになるそうですが、夏ではなく冬を心待ちにしているとは・・・読むことで頭が柔軟になった気がします。

 

P120

 ヘヤー・インディアンは、夏(インペ inpe)の生活と冬(ハイ x'ai)の生活を、二つの独立したカテゴリーに分けて考えている。そして過去の記憶を語るときなどは「一夏前」「三夏前」とか、「五冬前」といった表現を用い、「一年前」といった表現をとらない。生活の枠組として一年の計画をたてるという感覚もない。「夏の生活」と「冬の生活」は、一九六〇年代のある種の日本人にとっての「外国での生活」と「日本での生活」がそうであったように、生活の枠組やリズムを異にするものなのだ。どちらかというと、夏は活動のペースがゆるやかで、これといって血沸き肉躍る興奮もなく、時の過ぎるのを待つような感じの期間である。これに対して冬は、諸事にわたって活動のペースが速く、広大な地域を股にかけ、飢えや寒さや獲物との知恵くらべのスリルに満ち、生命感が躍動し、一人ひとりの目が輝くときである。夏の間彼らは、冬を心から楽しみにしている。

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 ・・・夏は、ヘヤー・インディアンの住域の三分の二が河や大小の湖の水で覆われ、小さい湖が群在するところでは、湖と湖の間は沼地となってしまい、人間が効率よく使える地域は、マッケンジー河沿いの河岸段丘とコルヴィル湖、ベロ湖などの大きい湖の周辺などに限られてしまう。そのようなことからも、彼らは夏の間、拘禁されているかのような感情に陥るらしい。

 それにひきかえ、冬に入ると、日本の本州の五分の三ほどの地域が一面氷に覆われ、三五〇人の人間がそこを自由自在に動きまわれるようになるのだ。・・・しかも、彼らが生き生きと活動する狩猟の季節なのだ。・・・

 

P168

 やっとのことで湖が凍結してくると、人々の顔は明るくなる。「インディアンの冬」が来たからだ。水汲みのために湖に出て、飲み水をとるためにその氷を割るとき、氷が日に日に厚くなり手ごたえを増すのは、楽しみなものだ。一週間もして、氷が一メートルの厚さになればよい。大人二人と犬三~五頭が、氷の上を走っても、割れたりはしなくなる。

 

P190

 寒さや風や雪や、さらにクズリやカナダカケスやムースやカリブなどと知恵くらべをしながら一〇月、一一月を過ごすと、交易所での賑やかなクリスマスが心待ちに思えてくる。ドラム・ダンス、スクエア・ダンス、どぶろくパーティー、トランプ遊び、恋人との再会、さまざまなキャンプ地のブッシュの様子についての情報の洪水、人々の動静についてのニュース、すべてが砂漠のなかのオアシスのように渇望されるようになる。一二月に入ると、キャンプ地を交易所の方向へと移動させながら、全員が一二月二〇日ごろを目標に、フォート・グッド・ホープに集まってくる。・・・そして、その冬の前半にとれたミンクやテンの毛皮を商人に売り、その実績で再びキャンプ装備のための前借りをして、真冬のキャンプに出かけて行く。

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 ・・・クリスマスのミサが終わるころには、多くの人々が人気の少ないキャンプ生活に憧れるようになってくる。しかし、冬至を過ぎての天候は、ますます不安定となり、出発のタイミングを逸すると、一週間も一〇日も交易所に足留めをくうことがある。・・・フォート・グッド・ホープでは、往復六~七時間以内で魚網を仕掛けられる湖の数が限られている。どうしても店で買うドッグ・フードに頼ることになり、現金は底をつき、うっかりすると、犬が日に日に痩せてきてしまう。元旦を過ぎて交易所に残っているのは「馬鹿な」証拠にもなる。・・・冷凍庫に魚をたくさん蓄えている人が、まだ交易所に残っていれば、その人に魚をねだってみる。「もうあの冷凍庫にも、私の魚は残っていないから、明日、我われもキャンプへ出かけるのです」と言われてしまったら、どうしようもない。ねだられた方は、実際には魚が残っていたとしても、そう言った手前、そしてまたまたねだられたり、「あるのにないと言った。ケチん坊め」と言われたりしないために、そそくさとキャンプへ旅立ったりする。こうして冬の後半のキャンプ生活も、二、三ヵ月を過ぎるとイースターの集まりが待たれ、交易所の人いきれにうんざりするころには春のビーヴァー猟が楽しみになる。

 このようにヘヤー・インディアンは、拡散と集中のリズムのなかで、一年を過ごす。彼らにとっての「拡散」とは、「天地のすべてが我が物」という感じのスケールの大きい分散であり、彼らにとっての「集中」とは、二〇平方メートルぐらいの丸木小屋に四〇~五〇人の人が集まって夜どおしドラム・ダンスをしたり、教会堂に二五〇人ぐらいの老若男女が集まって礼拝をする程度のものである。

 私が本調査をしていた当時、交易所の白人から私が借りてきた雑誌「ライフ」に、東京・新宿駅のラッシュ時に活躍する「押し屋さん」の写真があった。それを見たヘヤー・インディアンは、「何のことやらわからない」と言った。次の頁に見開きで、駅の階段をなだれのように降りてくる群衆の写真があった。彼らは「これは狼の群れよりも恐ろしい。グリズリーが群れてくれば、こんな気持ちになるかも知れない」とふるえ上って、大急ぎでページを閉じたのであった。