お母さんのことば、いいな~と思いました。
P15
ひとなり。期待し過ぎるな。バカにし過ぎるな。
くよくよし過ぎるな。我慢し過ぎるな。
悩み過ぎるな。腹立たせ過ぎるな。謝り過ぎるな。
食べ過ぎるな。頭抱え過ぎるな。くじけ過ぎるなよ。
P25
ひとなり。いらいらしてこころが安定しないのは、
期待するから、信頼しないから、疑い続けるから、
人任せにするから、相手のせいにするから、
希望を侮るから、自分の可能性を信じないから、
愛をなおざりにするから、しがみつくから、
ご先祖に感謝しないからだよ。
P56
ひとなり。言い過ぎたらいけん。
しつこ過ぎたらいけん。無視し過ぎたらいけん。
深入りし過ぎたらいけん。詮索し過ぎたらいけん。
意地はり過ぎたらいけん。お節介し過ぎたらいけん。
なんでもし過ぎたらいけんよ。ほどほどがよか。
親しき仲にも礼儀ありやけんね。
P84
ぼくは母さんが喋る築後弁が好きだった。
母さんは東京でかなり無理をして標準語を喋っていたのだろう。
方言をつかう母さんはイキイキしていたし、キュートだった。
「ひとなり、よかか、世界に出たからには楽しまないけん。楽しまないと損ったい。一生は一度やけんね、思いっきり生きたらよか。死ぬのも一度、生きるのも一度やけんくさ、とことんやったらよか。後悔っちゅうのは、とことん生きた人間にはほんらい無かもんたい。とことん生きてるとな、たとえ失敗しても、それは後悔にはならんとよ。中途半端にやるから人間は後悔ばすると。だけん、よか、とことん、やってこんね。母さんが責任ばとる」
この、母さんが責任をとる、という一言が偉大で優しかった。
その後のぼくの人生を、かなりのびのびと明るいものにさせてくれた魔法の言葉でもあった。
生きるのりしろ、余白のようなものを与えられた。
でも、ぼくはその言葉を少し誤解して、勝手に解釈していたかもしれない。
なにをしてもいいんだ、という勘違いが、ぼくをいたずら小僧にしてしまうのだけど、母さんはそういうぼくの行動を決して制限することがなかった。
それはたぶん、自分が制限されて生きてきたからかもしれない。
せめて自分の息子には「あれはダメ、これはダメ」と言いたくなかったのであろう。
ぼくが今、ここパリで自分の息子に同じような方法で接するのは母さんの影響が大きい。
「ひとなり、人生は否定から入ったら、いけん。つねに肯定から入りなさい」
これは母さんの名言だと思う。
だから、彼女は怒らなかった。
だから、ぼくは自分の中の可能性を制限しなくて済んだ。
P97
ひとなり。寝る前に後悔すんな、
悔しくなって眠れんくなる。
寝る前に将来を期待し過ぎて興奮すんな、眠れんくなる。
寝る前はなんにも考えちゃいけん。空っぽにせ。
期待も後悔もいけん。
寝る前は無我の境地に浸って明日に備えなさい。
ゆっくり眠るのが一番たい。