見えないボールを打つ

もう一度、プロ野球選手になる。

 元巨人のピッチャー槇原さんが、目が悪くてあんまりボールが見えてなかったって聞いたときもびっくりしましたけど、この発想すごいなと思いました(笑)。

 

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 常識的に考えれば、ぼくはとんでもないことを宣言したんだと思う。

 でも、ぼくはもう言ってしまった。言った以上は、これを楽しめばいいんだ。

 そう思うだけで身体中から力が抜けて、意外なところからポンと答えが降りてくるかもしれない。

「47歳からプロ野球選手をめざします。でも、ボールが全然見えません。どうする?」

 よし、答えが出たぞ。

 ボールが速くて見えないなら、「来た!」と思うより早く打ちにいけばいいんじゃないか。ボールを見ようとしても、いまの視力じゃ見えない。それなら見えないことを受け入れて、見えない中で打つ方法を見つければいいんだ。

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 ボールが見えない状況には、ボールが〝ぼんやり〟見えるケースも考えられる。

 このケースでも、ぼんやりを受け入れることが突破口になるかもしれない。

 ぼんやりしたかたまりが、ぼくに向かって飛んでくる。その「ぼんやりしたかたまり」のどのあたりを打てば、芯を捉えられるのか。

 これからは、そんな発想で目慣らしをしていこうかな。

 視力の衰えは、野球をするうえではたしかにハンデなのだろう。

 でも、「ボールが見えない!もうダメだ!」とあきらめるのは、まだ早い。

 困難に直面したら、おもしろがればいい。

 人生だってそうだと思う。勉強、仕事、対人関係。こういうのは大変だと考えれば大変だけど、楽しもうとすればいくらでも楽しめる。

 そこからきっと、なにかが始まるんだから。

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 お金を失って、初めてわかったことがある。

 それはいままでの自分が、お金にしばられていたということだ。もちろん、そんなつもりはなかった。でも、すっからかんになったぼくは、立ち直れないくらい落ち込んだ。

 ほとんどすべての財産を失ってバリ島で暮らしはじめたぼくは、あのときの自分を笑いたくなった。なにも変わらない、いや、あのときよりも楽しんでいるじゃないか。