存在が存在してる

こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)

 こちらは村上春樹さんとのお話です。

 

P218

河合 意識の少し深いところの体験を、皆さんが一番よくされるのは夢です。夢の中では時どき空を飛ぶこともあるでしょうし、父親と思って話をしてたら知らん間に恋人になっていたりすることもある。それから先生が友人になったりとか、意識の下の方へ来ると、日常レベルで簡単に区別できていたことがだんだん曖昧になってくるわけです。もっと深く行くともっと曖昧になる。

 こういうことを組織的に、意図的に洗練して行った一つが僕は仏教だと思っています。仏教の本やお経を読みますと、どうもそういうことが書いてあるように思います。意識の中にだんだん深く入ってくると、私と村上さんとの間もだんだん曖昧になってくる。

 そんな曖昧になるものかと言われますけれども、人間は非常に面白くて、今度の村上さんの『ねじまき鳥クロニクル』にもそのテーマがあるんですが、・・・どんどん深いところへ行くと全部つながってくるんです。

 これは仏教的に言いますと、最後まで行けば、もう存在としか言いようがない。名前の付けようがないんですね。そこまで行く。存在が存在してるんだけれども、名前は何もないんです。ところがこの存在が日常レベルの世界へ姿を現してきますと、例えばこの時計を時計であるというふうに僕らは言っているわけですが、時計も私も村上さんも、ずーっと下へ行けば行くほどものすごくつながるんですね。この感覚はなかなかわかりにくいんですが、仏教の方、禅の方が瞑想してるというのは、ひたすらそういう状態で意識状態を変えていってるんだと僕は思うんです。

 井筒俊彦という先生が面白いことを言っておられる。われわれは、例えばコップが存在するというふうに言っているけれども、ほんとはそうじゃなくて存在がコップしてるというのが一番ぴったりくると言われるんですね。そういうふうに考える―私がここで存在が河合やってる、ここで存在が村上やってるというと、非常に近寄るものがある。そういう近寄った感じの線の中に出てくるものというのは、物語というより仕方がないものなんじゃないかと思います。

 ・・・

 実際、村上さんの小説を読んで癒された人はたくさんいます。・・・それはなぜかと言うたら、自分が日常レベルでアップアップしてるときに、いやそうじゃないんだ、もっと深い意識があるじゃないか、そこで自分は生きてるんだ、ということがわかって、救われるわけです。そういうことをやるのが僕は物語ではないかと思う。

 ・・・

 僕はいま、人間にとって非常に大事な、もっと深い意識をもういっぺん回復するために物語が必要だと思っています。・・・

 ・・・

村上 ・・・僕がお聞きしたかったのは、まず自我という問題なんですね。・・・

 ・・・自我と外なる世界との葛藤という方向から見る物語の系譜が、今ある種の解消のようなものを求めはじめているんじゃないかという印象を僕はもつんです。・・・僕は、自我と外なる世界との葛藤というのがこれからどうなっていくのかというのをちょっとお伺いしたかったんです。

河合 ・・・自我というのがそもそも大問題で、私も自我というやつで一生苦しんでるみたいなところがありまして。

 だいたい自我というのをどう定義するかというのは人によってすごく違うと思うんです。そしてまた僕の考えでは、西欧の人の自我と日本人の自我は相当違うというふうに思ってるんです。・・・

 ちょっとまた心理学の話になって申し訳ありませんが、英語の精神分析の本を読むと自我というのはエゴ(ego)とわざわざラテン語で書いてあるんです。面白いのはエゴだけじゃなくてイド(id)というのもあるんですね。これはどういうことかというと、精神分析のほうでは無意識と呼ばれているわけです。フロイトはもともとこんなラテン語を使ってないんですよ。フロイトはイッヒ(ich)というのとエス(es)というのを使ってるんですね。それを英語にそのまま訳しましたら〔I〕と〔it〕になるんです。・・・

 ところが、これを英語に訳すとき〔I〕と〔it〕にせずにエゴとイドにしたんです。フロイトの学問に学問的な様相を与えるためにこうしたんですが、これは間違いやったと僕は思うんです。これを日本人は更に難しく翻訳して「自我はイドの侵入を受けて問題を起こした」というように訳している。僕はよく言うんだけど、フロイトの書いてるのをそのまま関西弁に訳したら「わてはそれにやられましてん」となる(笑)。フロイトはそう書いているのに、全然違う、すごい話になるんです。そやけど、わてはそれにようやられると思いませんか。・・・皆さん、そう思って小説を読んでみてください。「それ」とか「あれ」というのがすごくうまく使われてます。「それが起こった」とか「あれがそうなのか」とか―つまり自分にとって不可解で、しかもどう考えていいかわからないときに「それ」とか「あれ」がでてくる。・・・

 

 ところで明日はブログをお休みします。

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