ニューヨークの魔法の約束

ニューヨークの魔法の約束 (文春文庫)

大好きなニューヨークの魔法シリーズの最新刊。著者が出会う日常の出来事は、なぜかまるで魔法のようです。
今回もあたたかくてじーんとするお話満載でした。
1つだけ、ご紹介です。

P69
 地下鉄の車両の端から、女の人の大きな叫び声が聞こえた。止んだかと思うと、また叫び、静かになったかと思うと、また奇声が車内に響いた。
 ・・・
 その女性は目を開けると、手にしていた空のガラス瓶を逆さにし、口から舌を入れ、わずかに残っている液体をなめようとしている。ウイスキーウォッカだろうか。
 若い女性が何やら声をかけると、その人は叫びながら、彼女の足を蹴った。若い女性はにこやかな表情を崩さず、今度は男性に話しかけている。・・・
 しばらくすると、彼女が右手の小指を、男性に差し出した。すると、男性も右手の小指を近づけ、彼女の小指に絡ませて、指切りしている。・・・
 ・・・
 ・・・周りの様子など、彼女は気にもならないように、黒人の男女と言葉を交わし続け、私と同じ駅で降りた。
 あの指切りは何だったのだろう。・・・
 ・・・
 大丈夫?
 そう私が声をかけると、ええ、何でもないわ、とだけ答えた。
 そして、一緒に改札に向かいながら、しばらくして彼女が話し始めた。
 あの女性と同じ駅で地下鉄に乗ったんだけど、突然、私に向かって叫び始めたの。・・・
 ホームレスの人だった。彼女の隣にすわっていた男性もホームレスのようで、同じ駅で乗ったの。初めは正直、関わらないようにしようと思ったわ。でも、あの男性の目がとてもやさしかった。彼が私に声をかけてきて、話し始めたの。
 女性が叫んでいたから、周りの人たちは奇異の目で見ていたし、怖がっていたかもしれない。だから、女性の気持ちを和らげようと思って、素敵なドレスね、って声をかけたの。
 びっくりしたようだったわ。たぶん、長いこと、ほめてもらったことなんか、なかったんでしょう。昔、彼女のお母さんがマリリン・モンローのためにドレスを縫っていたなんて言ってたわ。・・・
 彼は退役軍人だと言ったわ。戦場に行って、精神を病んで、社会復帰できずに、ホームレスになった人がたくさんいる。・・・
 ふたりとも精神がぼろぼろで、とてもさみしい目をしていた。きっとお腹も空いていたんだと思う。でも私に、恵んで、とは言わなかった。お金も、食べ物も。
 何かほしければ、教会に行ってね、この女性の面倒を見てあげて、ともう一度彼に頼んだの。もし助けが必要だったら、連絡してね、あなただけじゃなくて、ふたりとも助けが必要だったら、と言って、自分の名刺を渡したの。わかったよ、と彼が答えたわ。
 その約束が、あの指切りだったのだ。・・・
 ニューヨークは孤独な街だから、みんな、耳を傾けてくれる人が必要なの。その人に関心がなくたっていいの。話を聞いてあげるだけでいい。
 あなたのその勇気はどこから来るの、と私が聞いた。
 わからないわ、と答えると、その人は声を詰まらせた。
 一緒に地下鉄に乗ったとき、この人たちは耳を傾けてくれる人が必要だって感じたの。
 そう言いながら、女の人の両目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。涙を拭いもせずに、彼女は話し続けた。
 地下鉄の乗客は怖がったり、面白がって大笑いしたり……。あなたが今日、突然、職を失って、何の価値もない、生きている価値もないみたいに周りの人たちに扱われたら、どんなふうに感じる?そんなあなたに、誰かが声をかけてくれたら……。
 彼らには語るべき物語がある。歴史がある。誰かに耳を傾けてほしいの。どんな人にも、語られるべき人生の物語があるでしょう。