味と香りについて、そういう仕組みだったとは知りませんでした。
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古館 冒頭でも触れましたけど、「匂い」っていうのもかなり深いところにきますよね。嗅覚に関していうと、これも歳とともに増えてきた体験として、たとえば家の玄関を出て外の空気を吸った瞬間、いきなりババババッと昔の記憶があふれ出てくるようによみがえってくることがあるんです。そういうのは若いときにはあんまりなかったことなんで、長く生きてきて記憶の積み重ねも多くなったからなのかなとも思うんですが、「草いきれ」ひとつ嗅いだだけでもその瞬間に鮮烈な記憶がバーッと頭の中に流れてくるんです。
養老 それ、不思議ですね。僕はそういうのがまったくないんですよ。
古館 そうなんですか。
養老 だけど、そういった話はよく聞きます。それは要するに「停車場に故郷の訛りを聞きに行く」じゃないけれど、匂いというのは非常に深く情動に結びついているんですね。実際に、鼻の奥から脳に匂いを伝える神経線維の五十パーセントは、大脳辺縁系という、いわゆる古い脳のほうに入っていきます。情動を司る扁桃体とか、そういう部分に入っていくんです。そして残りの五十パーセントが新皮質に上がってくる。一方で、目と耳と触覚は全部、百パーセントが大脳新皮質に入ってきます。だから、味と匂いは五十パーセントしか上がってこなくて、五十パーセントは古い脳へ入る。古い脳は情動と関係していますから、両者は深く結びついていることは間違いない。それが、おふくろの味とか、故郷の匂いとか、そういうものなんですよ。
古館 はぁー。いや、これまた合点がいきましたね。要するにね、昔の音楽を聴いて「ああ、あの頃が懐かしいな」というような感覚と、草いきれや、雨上がりの匂いを嗅いで、ウワッと来るのとは種類が明らかに違うんですよ、どう考えても。匂いっていうものは自分の記憶の奥底にあるものとしっかり結びついている。
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養老 人間が持っている五感、つまり視覚、聴覚、触覚、そしていま話をした味覚と嗅覚があるわけですが、この味覚と嗅覚が他の三つと大きく違う点って何だと思いますか。
古館 さっきの大脳辺縁系と関係あることですか。
養老 ありますね。
古館 嗅覚と味覚というのは人に伝えにくい、というか言葉で再現するのが難しい……というのは違いますかね。
養老 ある意味で当たってます。この嗅覚と味覚、つまり匂いや味っていうのはどちらも言語を構成できないんです。つまり触覚についていえば、点字が作れますね。それから聴覚、つまり耳は話したりする音声の言語を構成する。視覚の目は、見るほうだから文字の言語を構成する。言い換えれば、目も耳も指先も言語を受け取ることができる。ところがこれと似たことを味や香りではできない。匂いをある順番で嗅がせて、それによって何かを表現したり、あるいは、料理を順番に出すことで、メッセージを伝えることなんかできないでしょう。そこなんです。言語構成力がないんですよ、大脳新皮質に全部は上がってこないから。
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・・・一個一個の単語にして伝えていくということができないんですよ、味と匂いという二つの感覚は。だから「五感」とひと口に言うけれど、本当は三感・二感なんですね。
性質が少し違うんですよ、味と香りは。味と香りについて子供のときの印象が非常に強く残るというのは、辺縁系と結び付いているからですね。