里山のシイナのほぼ片づけ日記

里山のシイナのほぼ片づけ日記

 なんの本だろう?と手に取ったら、購入した古民家を片づける過程が記録された本で、すごい大変そう・・・だけどなんか勇気づけられる・・・YouTubeも、みんな見たくなるだろうなぁと思いました。

 おわりに、にはこのように書かれていました。

 

P120

 この物件でたくさんの物を目にしましたが、そのほとんどが、一般に「ゴミ」と呼ばれる物ばかりでした。なぜこんなに多くの物を溜め込んだのか、最初は不思議で仕方ありませんでした。いらなくなったら捨てればいいのに。そう考えるのが、僕たちの感覚では当然のことだったからです。

 この家は、少なくとも明治時代から何世代も引き継がれてきた歴史があり、年代の古いものから新しいものまで、数多く出てきました。物の状態を見ると、明治から昭和初期を生きた世代と、高度経済成長期を経験した世代とでは、物に対する姿勢が大きく異なる印象を受けました。

 まだ物が貴重だった頃の物品は、作りも扱われ方も、一つひとつ丁寧な印象で、壊れたままにしてあることも少なかった。その頃の物はほとんどが手作りで、素材は木材や金属が中心なので、不要になれば薪にしたり、資源として売ったりと処分が簡単です。

 一方、高度経済成長期以降の物は、プラスチックやビニール製品が爆発的に増え、大半がまさに「ゴミ」という状態で残され、扱われ方も雑だったことが見て取れました。薪にもならず、資源としての需要もない素材の数々。物が貴重だった時代を経験した人なら、ただ捨てることに抵抗を感じたのかもしれません。「まだ使うかもしれない」「ほかに使い道があるのでは」と思って、残してしまうのも不思議ではありません。

 ですが、手に負えなくなった大量の物が、住空間まで埋め尽くし、まるで物に溺れていたかのような光景を見て、物がある豊かさとは一体何なのだろうと、考えずにはいられませんでした。

 物を捨て続け、その物が使われた背景を垣間見た僕たちですが、片づけが終われば逆に、様々な物を作っていく立場になります。

 ものづくりというのは、一種の「環境づくり」で、自分で作り上げた環境は、自分自身にも影響を及ぼすと思います。・・・

 また、ものづくりにおいて、時代が変わっても愛される、品質の良い物を残すことは、希望にもなると思います。・・・

 なので、これから作る物や家、そして環境は、心地よいもの、魅力あるものにしたいと思っています。・・・僕たちはミニマリストではありませんし、散らかすことだって多々ありますが、自分にとって適切な物の量を把握し、周囲の環境がどうなっているのか、時々でもいいので気にかける。大切なのは、物に翻弄されないよう、自分の心をしっかりコントロールし、物と向き合うことだと思います。

 2020年5月に始めた片づけは、約1年半という月日を経て、2021年12月末、ほぼ終了することができました。・・・

 ここまで、地味な作業の繰り返しでしたが、自分たちの理想の暮らしを作り上げていく、そんな楽しさをもって取り組むだけで、一つひとつが貴重な思い出と経験になりました。正直、逃げたいと思うような場面にも出くわしましたが、乗り越えるたびに得られる達成感は心地よいものです。もう一度やるかと聞かれたら、絶対やりたくないのですが、片づけももう終わってしまうと思うと、妙に寂しいこの気持ちは一体何なのでしょう?(笑)

 もしかしたら人生も同じようなものなのかもしれません。辛いこともたくさんあるけれど、正面から向き合って乗り越えて、かけがえのない経験として心に刻み込んでいく。あんな思い、二度としたくないという感情も、経験したからこそ得られたのです。汚いところから目を背けていては、掃除はできず、綺麗になりませんよね。

 いつの頃からか、なんとなく田舎で生活をすることに憧れていました。自然の多い場所で、のんびり穏やかに暮らせたら……。

 ・・・

 僕らは地方活性化や、農業活性化、自然環境の保護などを第一に謳うつもりはなく、ただ自分にとって、ひいては人間にとって、豊かさを感じる生き方を模索したいと考えています。

 この先どうなるか正直わかりませんが、この本を手に取っていただいた方に「こんな生き方もいいかも」と思ってもらえたら、そして、少しでも何かのきっかけになれたら、嬉しい限りです。

 


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