存在の肯定

ニュージーランドの保育園で働いてみた: 子ども主体・多文化共生・保育者のウェルビーイング体験記

 ニュージーランドは保育先進国だそうで、すてきな環境だなぁと思うことがたくさん書かれていました。

 

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 テ・ファーリキは1996年に教育省より公布された国内初のナショナルカリキュラムで、日本でいう保育所保育指針や幼稚園教育要領、・・・などにあたるものです。・・・テ・ファーリキでは子どもを「生まれながらに有能で、自ら学ぶ存在」ととらえて、子どもが主体的に学ぶ保育をしていると聞いて興味を持ち、いつかこのナショナルカリキュラムに沿ったニュージーランドの保育を保育士として現場に入って経験してみたいと思っていました。

 ・・・テ・ファーリキはマオリの伝統的な思想をもとにした、4つの原則(エンパワーメント、全体的発達、家族と地域、関係)と5つの要素(ウェルビーイング、所属感、貢献、コミュニケーション、探求)をフレームワークにしています。

 

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 電車のおもちゃが大好きなルアという4歳の男の子がいました。彼は電車のレールを規則的に並べることができるだけでなく、駅のプラットフォームを作ったり、ブロックの上にレールを置いて橋に見立てて遊ぶなど、・・・豊かな想像力を発揮していました。・・・

 あるとき別の子が来て「入れて」と言うと、ルアは「だめ」と言いました。それを見た僕は「今はルアが1人で完成させたいみたいだから、こっちで新しく作ろうよ。もしやり方がわからないなら僕もいるし、ルアに聞くこともできるよ」と言って、ルアが実験を継続できるようにしました。・・・子どもたちもルアのじゃまをしたいわけではないので、話せば理解してくれていました。ルアのお母さんは、ルアは自分の世界というものがとても強くて、なにかに夢中になっているときに中断されることがなにより嫌いで、前に通っていた園ではマットタイムにも来ないこともあって心配していたそうですが、ここではクラスのチームがルアを理解しようとしてくれていることにとても安心を感じると言ってくれていました。

 一度、お母さんがお迎えに来たとき、ルアがおもちゃをとられて友達をたたいたことがあります。その子は泣いてそばにいた僕に「ルアがたたいた!」と言ったので、僕は「うん、見てたよ。びっくりしたね」と言って彼の背中をさすって「でもなぜルアがたたいたのか、理由があるんじゃないかと思うけど、君はどう思う?」とその子に聞きました。すると彼は「ルアが遊んでいるおもちゃが欲しかったの」と答え、僕が「ルアに貸してって聞いてみた?」と聞くと「ううん。聞かなかった」と素直に答えてくれたので、僕は彼に「理由を言ってくれてありがとう。今もおもちゃが欲しい?」と聞くと、彼は「うん」と言ったので、じゃあルアに聞いてみようとなりました。ルアはまだ不機嫌でしたが、お母さんがその子におもちゃを渡して「ルアがごめんね。ありがとう。ルア、帰る時間よ」と言って涙ぐんで帰っていきました。僕はお母さんが泣いていたので大丈夫かなと心配でしたが、次に会ったとき「ルアのような難しい子にていねいに対応してくれてありがとう。息子が理由もなくたたく子じゃないと理解しようとしてくれて、本当にうれしかったから涙が出たのよ」と言ってくれました。・・・

 子どもは好奇心いっぱいにこの世界を探求しようとしていますが、それは子どもがこの世界をあらゆる面から理解しようとしている大切なプロセスだとテ・ファーリキには書かれてあります。ルアのように自分の興味に対する集中力や探求心がものすごい子は、5つの要素が大切にされているプレイベースドカリキュラムのような環境ではサポートされていると感じられると思いますが、チェックリストによって達成しなければならないことが決まっている保育環境では、本人も保護者も、保育者もつらくなってしまうと思います。

 ルアのように目立つ子は、手がかかる子、言うことを聞かない子と思われることもありますが、興味がはっきりしているので、今日なにをしていたか、どんなサポートが必要かが保育者たちの間で共有しやすい子でもあります。・・・

 

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 4つの原則の最初の項目は「エンパワーメント」で、・・・この原則を一言で表すと「存在の肯定」ではないかと思います。

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 なぜこの原則が「存在の肯定」だと思ったかというと、この1つ目の原則には、子どもがエンパワーされる保育環境では、すべての子どもたちが自分のマナを認識してエンパワーする経験ができると書かれています。マナ(Mana)は何度もテ・ファーリキに出てくるマオリ語で、・・・英語では「神秘的な力あるいは存在の力といったもので、人や物、場所に宿るとされる」と訳されていたので、日本語でいうところの「魂」とか「気」のようなものかなと思いました。

 その後・・・マオリの人に話を聞くと「マナは自分の身体を動かすエンジンのようなもの。マナという力が動けば動くほど自分の力が発揮され、この世界を探求しようとするし、コミュニケーションをするようになる。けれどもマナが動かない状態、たとえばここは危ないんじゃないか、だれかに否定されるんじゃないか、僕は必要とされていないんじゃないか、尊敬されていないんじゃないかと感じる状況だと、子どもが自分から動けない状態になる」と説明してくれました。これは子どもだけではなく大人にもあてはまるものですね。・・・

 ・・・ふと、自分のマナがエンパワーされると、ほかの人のマナも大切にできるとテ・ファーリキに書いてあったことを思い出しました。テ・ファーリキがすごいなと僕が感じるのは、マナのエンパワーメントという、目に見えないものに価値があるといってそれを国の指針や要領の核にしたこと、そのうえで、地域と縁に沿った最適な保育をするという、とても現実的で実践しやすいエンパワーリングなカリキュラムになっているところです。