つながる

キッチハイク! 突撃! 世界の晩ごはん ~アンドレアは素手でパリージャを焼く編~ (集英社文庫)

 文庫は2冊に分かれていて、こちらには、著者の振り返りの感想が書かれていて、印象に残りました。

 

P217

 さて、旅を終え、帰国してから6年、単行本の刊行から3年半が経ちました。・・・「キッチハイク」という概念を発見してから、僕はその虜になりました。ごはんを一緒に食べることが、こんなに奥深いなんて、誰が知っていたでしょうか。・・・

 帰国してから、新しく始めたことがあります。僕は、キッチハイクを逆にやってみることにしました。そうです、我が家の食卓に旅人を招いては手料理をふるまうのです。・・・

 妻と2人で、世界中からたくさんの旅人を招きました。・・・招いた旅人と食卓を囲んだ後、一緒に近所を散歩していると、キッチハイクの旅のワンシーンが呼び起こされます。

 バレンシアのヴィセントは、なぜか通っていた学校やらギター教室やらを案内してくれたなぁ、なんて思い出すのです。当時は、なんでそんな場所ばかり!と思っていましたが、僕は、徐々にヴィセントの気持ちがわからなくもない感じになっていきました。とにかく、自分由来の日常を届ける。それが家のごはんと同じで、後々いちばんグッとくるものがあると気づいたのです。

 ・・・

 もてなす側と、おじゃまする側。一見、与える側と、受け取る側に思えるけど、実際に旅人を招いてみて、もてなす側こそ、むしろ受け取ることが山ほどあるとわかりました。食卓を囲むことで日常に新しい風が吹き込み、新しい世界と接続する、自分が拓ける、まるで自身も旅をしているような感覚になるのです。

 世界中の食卓を訪ねて、もてなされ続けてしまったなぁ、しっかりと恩返しもできずに申し訳なかったなぁと、心のどこかで思っていました。キッチハイクを逆にやってみたことで、もてなされただけじゃない、訪ねた自分もきっとなにかを与えていたであろうとわかり、僕の心はやすらぎました。さらには、今になって、過去がより重層的な意味を持ったことに、得も言われぬ喜びを覚えました。

 キッチハイクの概念を見つけた瞬間を、今でも思い出します。共同体の成り立ちに関する文献を読んでいた時のことです。「縄張りに入ってきた部外者と友好を深めるためには、一緒に食事をするのが一番だ。地球上のすべての民族が根源的にこの慣習を持っている。」そんな一説に出逢いました。

 なるほど、シンプルかつとても具体的だと思いました。・・・

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 旅を終えて、そして旅人を招く日々を過ごした上で、さらに気づいたことがあります。「食卓を囲む」行為が持つ、もっと大きな可能性についてです。キッチハイクは、僕が思っていたよりも、はるかに大きなものでした。つまり、キッチハイクは、国籍や言葉が違う者同士だけに当てはまる概念ではなかったのです。国籍が違っても同じでも、言葉が通じなくても通じても、初対面でも親しい友人でも、旅先でも日常でも、旅行者でもご近所さんでも、あらゆるシーンで人がつながり、絆を深めることができるとても大きな行為でした。逆説的ですが、海外を周ったこと、自宅の食卓にゲストを招いたことで、旅先から日常まで、すべての食卓を分け隔てなく見ることができるようになったのです。

 今、僕は、東京で「KitchHike(キッチハイク)」というWebサービスを育てています。料理をつくる人と食べる人をつなぐマッチングサイトとして始まったサービスが、さらには食と文化と交流をコンセプトに「食でつながる暮らし」を創造する事業として、成長を続けています。

 帰国直後は、一文無しである上に、事業がうまくいかなくて日銭を稼げない期間が長らく続きました。食で人をつなぐサービスなのに自分が食えない、というのはシャレになりません。それでも続けられたのは、キッチハイクの旅を通じて、その価値を確信していたから。応援してくれる素晴らしい人たちとの出会いがあり、価値に共感して仲間になってくれたメンバー、それからサービスを利用してくれる方々のおかげで、これまでに累計で5万人以上の人がつながるサービスになりました。キッチハイクの旅は、僕に希望と使命をもたせてくれたのです。