四半世紀くらい前の本。アジアを旅する日本人バックパッカーに、著者が話を聞いて歩いた記録です。著者の写真が好きだったのを思い出して手に取りました。いろんな人生があって、興味深かったです。
P69
「今回で二度目の旅なんだ。前回はタイを中心に回った。だから、この旅はインドネシアを中心に南へ。これが終わったら次の旅はインドに行くつもり」
彼の低い声が闇に響く。僕は日本でのことを聞いた。
「日本では映画の助監督をしていたんだ。『楢山節考』の中にカラスが出てくるでしょう」
僕は高校生の頃、文化祭で体育館で見たのを思い出した。
「緒方拳の出てるのでしょ」
「あのカラス、僕が捕まえたんだ」
最後の場面で、恐ろしくたくさんのカラスが出てくるのを思い出した。
僕は捕まえ方を実に詳しく聞いた。それは彼が編み出した技である。そしてその後、企業のPR用の映画作りに携わったことなど、いくつかのことを聞いた。
「どうして辞めちゃったんですか?」
愚かな質問をした。もし僕がそう聞かれたらうまく答えられないのに。
「マレーシアに撮影に行ったことがあったんだ。そこで、喧嘩しちゃってね、上の人と。それが始まりかな、映画はもういいやって。これ以上は人生の無駄だと思えて。もう今後、映画の仕事をすることはない気がする。辞めたら楽になったね、何もかも」
僕は黙って聞いた。人は本当に伝えたいことをうまく表現できるものではないし、伝わるものでもない。僕が彼の言葉のすべてを理解する能力もない。彼のその短い言葉の中の大きな葛藤を思う。
「何故、旅に出たかというのと、映画の仕事を辞めたというのは同義語のような気がする。こう言うと嘘っぽくなるけど、やはり人にはどう言っても分かってもらえないんでしょうが」
僕は黙って聞く。
「旅に出て、世界を見てみたかったんだ。そのことに間違いはない。それがなければ家でテレビでも見ていたほうがずっといいよ」
・・・
「場所や環境を変えたからって人は利口にはならない。旅に出て悟りを開いたなんてありえるんだろうか、あるなんていうのは意味を取り違えているんじゃないかな」
・・・
数日後、島を去る彼を見送った。ジャワ島に再び戻るという。
「自分の知らなかった自分に出会うのが旅なのかな。良いところも、悪いところも」