小さな転機のつくりかた

99人の小さな転機のつくりかた

 

 ビッグイシューの連載がまとめられた本を読みました。

 創設者のジョン・バードさんのお話が印象に残りました。

 

P43

 1946年、ノッティングヒルの貧しい家庭に生まれた私は、3~4歳のころにはすでに市場でオレンジが入った木箱を譲ってもらい、薪として売って2ペンスを稼いでいました。6歳のときには、兄弟3人と一緒に修道院に入れられました。そして少年時代には、生活のために何度も盗みをしました。

 15歳のとき、友人に頼まれて彼のおばあさんをだまし、口座からお金を引き出した罪で、18歳まで少年院で過ごすことになりました。最初のターニングポイントが訪れたのは、ちょうど16歳のとき。少年院に勉強を教えに来ていた先生の奥さんが昔、美術の教師をしていたとかで私たちに絵を教えてくれたんです。上達が早いと褒められた私は、すっかり夢中になりました。英国では、アーティストは中流階級に属します。つまり労働者階級だった私はそのとき、中流階級の仲間入りをしたわけです。もちろん実際の階級ではなく、あくまでも精神的な階級の話ですけどね。と同時に狭かった視野が一気に広がって、無自覚に人種差別などをしていた自分を恥ずかしく思い、政治にも関心を持つようになりました。

 第2のターニングポイントは、のちにザ・ボディショップの社長となるゴードン・ロディックとの出会いです。67年の暮れ、私はエディンバラのバーで昼間から酔っ払っていました。そのとき、こっちを見ては連れに何か耳打ちしている男の姿が目に入ったんです。私は彼に近づき、「やけにご機嫌じゃないか」と声をかけました。いつ喧嘩が勃発してもおかしくない雰囲気でした。ところが互いに名乗り合ううちに、どちらからともなく噴き出してしまったんです。自分とよく似た大きな鼻に、親近感を覚えたのかもしれません。すぐに私たちは打ち解け、共通の趣味でもある詩の話で盛り上がりました。その後も彼とは何度か会い、歯に衣着せぬ議論を楽しみましたが、二人ともエディンバラを離れることになって、連絡は途切れました。

 次に彼を見たのは私が44歳のとき。小さな印刷会社を細々と営んでいた私はある朝、息子とテレビを見ていました。するとあのゴードンが、ザ・ボディショップの社長として紹介されているじゃありませんか。慌てて連絡を取ると、彼は昨日話して別れたばかりの友達みたいな気安さで、私に接してくれました。

 3番目にして最大のターニングポイントは言うまでもなく、ゴードンから『ビッグイシュー』創刊の話をもちかけられた91年の3月。前の年の6月、ニューヨークでストリートペーパーを売る男性を見かけて以来、その仕組みにすっかり魅了されたゴードンは、帰国後もその話ばかりしていました。ロンドンでも創刊したいという話を最初に聞かされたとき、私はいい返事をしませんでした。自分が路上で物乞いをしていたとき、お金をくれない人のことを私はひどく憎んでいました。でもそれ以上に、お金をくれる人のことをもっと憎んだ。だから、とにかくチャリティは大嫌いだったんです。

 するとゴードンは「チャリティだなんて誰が言った?」と言ったんです。そして、「ビジネスとして成り立つかどうか調査してくれたら、リサーチにかかる6週間分の賃金を払おう」と約束してくれました。日給は要求した額の半分でしたけどね(笑)。

 さっそく私は路上で物乞いしたり、うちひしがれて座っているホームレスの人たちと話すことから始めました。彼らが本当に売る意志を持っているのか、確かめたかったからです。

 その中の一人に、ハンガーフォードブリッジのそばで座り込んでいる20歳くらいの青年がいました。衰弱しきった青白い顔がやけに老けて見える彼は、ヘロイン中毒者のようでもありました。私がストリートペーパーについて意見を求めると、彼は「物乞いに比べりゃ何だってマシだよ」と答えたんです。私はこの言葉をスローガンにすれば、世界の人々の心を動かせるに違いないと確信しました。

 こうして生まれた『ビッグイシュー』は多くの人に、自立して自分の道を歩むきっかけを与えてきました。と同時に私にとっても、自分が人生の中で経験したマイナスの出来事をすべて生かせる、つまりプラスに変えられる最高の仕事に巡り合えたと思っています。