樹木たちの知られざる生活

樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 タイトルの通り「知られざる生活」ばかり紹介されていて、すごいな~と驚きました。

 

P19

 およそ四〇年前、アフリカのサバンナで観察された出来事がある。キリンはサバンナアカシア(アンブレラアカシア)の葉を食べるが、アカシアにとってはもちろん迷惑な話だ。この大きな草食動物を追い払うために、アカシアはキリンがやってくると、数分以内に葉のなかに有毒物質を集める。毒に気づいたキリンは別の木に移動する。しかし、隣の木に向かうのではなく、少なくとも数本とばして一〇〇メートルぐらい離れたところで食事を再開したのである。どうしてそれほど遠くに移動するのか、そこには驚くべき理由があった。

 最初に葉を食べられたアカシアは、災害が近づいていることをまわりの仲間に知らせるために警報ガス(エチレン)を発散する。警告された木は、いざというときのために有毒物質を準備しはじめる。それを知っているキリンは、警告の届かない場所に立っている木のところまで歩く。あるいは、風に逆らって移動する。香りのメッセージは空気に運ばれて隣の木に伝わるので、風上に向かえば、それほど歩かなくても警報に気づかなかった木が見つかるからだ。

 同じようなことがどの森でも行われている。ブナもトウヒもナラも、自分がかじられる痛みを感じる。毛虫が葉をかじると、噛まれた部分のまわりの組織が変化するのがその証拠だ。さらに人体と同じように、電気信号を走らせることもできる。ただし、その速度はとてもゆっくりで、人間の電気信号は一〇〇〇分の一秒ほどで全身に広がるが、樹木の場合は一分で一センチしか進まない。葉のなかに防衛物質を集めるまで、さらに一時間ほどかかるといわれている。

 緊急事態のときでさえこの速さなのだから、樹木とはやはりおおらかな存在なのだろう。動きは遅いが、木といえどもそれぞれの部分がほかの部分とつながって生きている。たとえば根に問題が生じたら、その情報が全体に広がり、葉から芳香物質が発散されることもある。しかも、とりあえずにおいを発するのではなく、目的ごとにそれぞれ異なった香りをつくる。

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 害虫から身を守るために、木は必ずしも特別な緊急信号を発する必要はない。動物には気が発散する化学物質に反応する習性があるので、そうした化学物質によって、動物は気が攻撃されていることや害虫がついていることを察知できる。害虫がいるのがわかれば、それを好む動物は、どうしようもなく食欲をかきたてられる。

 樹木には自分で自分を守る力も備わっている。たとえばナラは、苦くて毒性のあるタンニンを樹皮と葉に送り込むことができる。その結果、おいしかった葉がまずくなり、害虫は逃げ出すか、場合によっては死んでしまう。ヤナギも、同じような働きをもつサリシンという物質をつくりだす。ちなみに、サリシンは人間には無害だ。それどころかヤナギの樹皮を煎じた茶には、頭痛を和らげ熱を下げる効果がある。頭痛薬のアスピリンも、もとはヤナギからつくられたものだ。・・・

 

P45

 木はゆっくりと生長する。・・・

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 若木はどんどん生長したがる。一年で五〇センチほど大きくなれるほどの力をもっている。だが、母親がそれを許さない。子どもたちの頭上に大きな枝を広げ、まわりの成木たちといっしょに森に屋根をつくる。その屋根を通り抜けて子どもたちの葉に届く日光は、数字にするとたった三パーセントといわれている。ほぼゼロといってもいいほどだ。

 その程度の光りでは、なんとか死なずにすむだけの光合成しかできない。ぐっと背を伸ばしたり、太ったりするのは無理だ。そもそもエネルギーがないのだから、この教育方針に逆らえる子どもなどいない。教育方針?そう、これは子どもたちのためを思った教育なのだ。・・・

 教育の手段は光をさえぎることにある。では、光を少なくすることがどうして教育に役に立つのか?・・・最近の研究でも、親木は子どものためを思って光を少なくすることを裏付ける証拠が見つかった。それによると、若いころにゆっくりと生長するのは、長生きをするために必要な条件だという。

 植林された木は最高でも八〇年から一二〇年で伐採され加工されるが、この数字に惑わされてはならない。野生の樹木は一〇〇歳前後でも鉛筆ほどの太さで、背の高さも人間程度しかない。ゆっくりと生長するおかげで内部の細胞がとても細かく、空気をほとんど含まない。おかげで柔軟性が高く、嵐がきても折れにくい。抵抗力も強いので、若い木が菌類に感染することはほとんどない。少しぐらい傷がついても皮がすぐにふさいでしまうので腐らない。優れた〝教育〟こそが長生きの秘訣なのだ。

 そのかわりに、子どもたちはずっと我慢を強いられる。少なく見積もっても八〇歳を超えていると思われる私の森のブナの若木たちは、樹齢およそ二〇〇年の母親の下に立っている。人間の年齢に置き換えると、彼らはおよそ四〇歳。この〝若造たち〟が義務教育を終えて独り立ちするまでにはあと二〇〇年ほどかかるだろう。だが、子どもたちは一方的に我慢を強いられているわけではない。根を通じて母親が子どもたちとつながり、糖分をはじめとした栄養を与えるからだ。