絵画の向こう側・ぼくの内側

絵画の向こう側・ぼくの内側――未完への旅 (岩波現代全書)

 

横尾忠則さんのエッセイ、興味深い話ばかりでした。

 

P40

 六〇年代のアメリカのポップ・アートの時代に、支持体であるキャンバスに様々な物を張りつけるコンバイン・アートが出現した。・・・

 画面に日常的な異質な物体を持ち込むことで、作品と現実の境界線を取り壊すことが主目的である。そうすることで、作品が現実の一部となる。・・・

 ・・・

 ピエタ像を描いていた時のことだ。多くのヨーロッパの画家によってピエタ像は数限りなく描かれている。ぼくは、ピエタ像に最初から鳩の剥製をコンバインするつもりでした。そうしたら、アトリエの広い窓に何かがぶつかる大きい音がして、近づいてみるとベランダの床に一羽の鳩が倒れていた。透明のガラスが見えなかったのだろうか、飛んできて、そのままガラスにぶつかって死んでしまったのだ。まるで、「私の身体を絵の中に入れてください」と言わんばかりだ。偶然にしては話ができすぎているが、これも何かの縁であろうと思い、鳩の意志を尊重して、剥製になった鳩に赤い色をつけ、傷ついた鳩として絵の中に組み入れることにした。

 創作の過程で、しばしば不思議なことが起こるものだ。・・・そのメカニズムは知らないが、内なる力が外なる力に呼応して何もないところに突然物体現象を生じさせたのかもしれない。

 

P120

 熊本市現代美術館で個展をすることになって、熊本の現地の「Y字路」を描くために夜の街に館長や学芸員やボランティアの人達とY字路の探索に出た時、館長(当時)の南嶌宏さんが、

「熊本の印象はどうですか?」

と聞いてきた。今日熊本に着いたばかりで、印象を語るほど熊本を知らない。・・・咄嗟に、

ブエノスアイレスみたいね」と言った。

ブエノスアイレスに行かれたことあるんですか?」

と館長。

 行ったことはない。目の前に展がる暗い夜の風景が、どこからともなく逃避してきた、許されぬ恋の行き場を失った男女が、タンゴでも踊れば似合いそうに、はかない運命をその街が抱いているように見え、ぼくは思わずタンゴの発祥の地ブエノスアイレスを連想してしまったのだ。

 この時点では館長もぼくも展覧会のコンセプトのプランはまだなかったが、「ブエノスアイレス」と聞いた瞬間、彼は叫んだ。

「『ブエノスアイレス化計画』という展覧会名はどうですか!」

ということで展覧会のコンセプトが決定した。・・・館長の南嶌さんはブエノスアイレスの大使館に後援を求め、・・・ぼくは、わけもわからないまま大使と対談をした。・・・ぼくの作品を見た大使はブエノスアイレス出身の文学者ボルヘスの作品とぼくの作品には共通点があり、ぼくの作品はボルヘスの精神を描いていると、読んだこともないボルヘスとぼくを同化してしまった。

 そんなことがあったものだから、新作に熊本とタンゴを結びつけた作品を制作した。描いた作品でマルセル・デュシャンにタンゴを躍らせたら、実際にデュシャンブエノスアイレスにしばらく滞在していたことがあとで判明したり、タンゴ発祥の地がなんとY字路に挟まれた家であることがわかったりした。

 さらに熊本にブエノスアイレスで修業した女性のタンゴ・ダンサーがいて、・・・オープニングには展覧会場でタンゴを踊ってもらった。それだけではない。訪ねてきた老人には、ブエノスアイレスには熊本からのたくさんの移民がいたことを知らされた。・・・

 まだある。オープニングの夜の二次会には、なんと「ブエノスアイレス」という名のお店が美術館の近くにあって、ブエノスアイレス料理に舌つづみを打ったのだ。次から次へとシンクロニシティが起こったのは、ぼくがふと口にした「ブエノスアイレス」に南嶌さんが直感的に反応して「ブエノスアイレス化計画」と叫び、肉づけをしてくれたことが、偶然を必然に変えてしまい、虚構を現実化してしまったのである。物事の発生は何も頭を抱えて知恵を絞らなくても、空中に表象されるべきイメージの断片みたいなものが常に浮遊していて、まるで赤トンボを採る時みたいに指を立てて無心になって待っていれば、勝手にトンボが止まってくれる、そんな自然の法則みたいなものが、実は見えないところに働いているような気がする。その法則とコンタクトすれば、楽ちんに事が進むんじゃないかな。