ウニヒピリのために

ウニヒピリのおしゃべり ほんとうの自分を生きるってどんなこと?

 本の冒頭にあった短編小説の一部です。

 

P14

「由美子、相変わらず、いろんなものが入ってるね。かばんに。」

 私は言った。

「ウニヒピリのためにね。」

 由美子はこちらをふりむかずに言った。

 ・・・

「・・・知り合いが貸してくれた本に、書いてあったの。内容はむつかしくってよくわかんなかったけど、そこんところだけ妙に納得しちゃって、それは、私の中にいる、昔から、どんなときでもいっしょにいる、小さい女の子。その子が退屈しないように、その子が好きなものを持って歩いている。」

 ・・・

「なるほど。つまり、深層意識をなぐさめるっていうこと?」

 私は言った。由美子は深くうなずいた。

「そういうこと。私たちがいくら年をとっても、その女の子はお腹の底にいる。そして、いつもないがしろにされてきたから、いつでも淋しがっている。顔が笑って心が泣いているようなとき、好きでもない男と寝ちゃったとき、自分の周りの人の世話をしても自分が世話をしてもらえないとき、その子はいつも小さく縮こまっている。だから、いつもその子のために、その子が喜ぶものを持って歩いたり、選んだりするだけで、人生の可能性がほぼ無限と言っていいほど広がるのよ。ほんとなんだってば。おまじないじゃないよ。」

「じゃあ、私がいつも砂糖漬けのしょうがをなんとなく持って歩いて、口淋しいときに食べたりするのも、すごく楽しかった高知旅行のときにお店でもらったボールペンをなんとな~くお守り代わりに持って歩いているのも、それに似たこと?」

 私は言った。

「そうそう、役に立たないものほど、その子は喜ぶんだよ。今度自覚してやってごらん。」

 由美子は言った。

「その、なんとなくっていうものなのが、何にも増して重要なんだよね。」

 ・・・

 ・・・どうしていろいろなものを集めて、眺めて、使って、こだわって、並べるのか。今の自分のためだけじゃないような気がする。・・・

 それがもし、自分の中の小さな子どもをはげまし、なぐさめ、喜ばせるためだとしたら、なんてすてきなことだろうと私は思った。その子どもは私固有のものではなく、太古の昔からだれの中にもひそんでいて受け継がれてきたなにかで、たえまなくその子どもをあたためつづけることで、私たちは人類の歴史そのものを癒しているのかもしれない。

「由美ちゃんはそれでなにかが変わったの?その本、私も読もうかな。」

 私はたずねた。

 床にごろんと寝転んで、陽の光の中で猫みたいに髪の毛を金色に透かして、由美子は言った。

「うん、なんかね、自分が大きなものに包まれていて、ひとりぼっちじゃないって感じがする。宗教みたいだけどね。それで、なんていうのかなあ、私、淋しくなくなった感じがする。ひとりでいても。本で読んだときは、ただ読み流しちゃった。それがしみてきたのは、べつのとき。うちの子が、小さなバッグに、役にたたないものをつめて出かけるのを見たとき、はっとして、さとったの。」

 ・・・

「いつものそうなの、子どもは、どの子だって、ビーズや、好きな絵本や、偽のコインでバッグをぱんぱんにしてる。私ね、はじめそれをとがめようと思った。むだだからやめなさいって。でも、もしかして、これってそういうことなのかなとある日思った。こんな小さな子たちの中にも、ほんとうのことしか言わない小さな子どもがいて、子どもたちは本能的にそれぞれのその子をケアしてるのかなって。もしかしてうんと大事なことなのかもしれないなって。私、もう大人だし、子どももいるから、むだなものをバッグに入れるのよそうって思ってたんだ。キャンディや、キラキラのキーホルダーも重いだけだし、たまっていくしって。でも、今は違うよ。むだなものがいちばんキラキラしていて、人生はそういうのを食べたがってるってわかってるんだ。」

 ・・・

 私は思った。私も、キラキラしたものをいっぱいかばんにつめて、旅をしていこう。人生の海を、その小さい子と手に手をとって、航海していこう。舵をとるのは心だけ、真実を知っているのはその小さい子の瞳だけ。そんなふうに。