面白そうと思いながら、そういえばまだ読んでなかったこの本。
新庄さんと意気投合するの、わかるなーと思いつつ、興味深く読みました。
P27
・・・小学校時代のエピソードをひとつ。舌が肥えていたため(いや、ただ単に好き嫌いが多いだけだったのだが)給食が完食できない。
見かねた担任が自宅に電話をかけた。すると、その日たまたま仕事がオフで、家にいた父親が電話を受けた。
「お宅の息子さんは好き嫌いが多いようでして、毎日給食をほとんど残すのですが……」
と切り出した担任に、父親はこう答えた。
「好き嫌いが多い?なんでも好きだとか、どっちでもいいって言う人間の好きという言葉に、いったいなんの価値がありますか?嫌いなものを、しっかりと嫌いと言えない男にはなるな。そう教えています」
父親はそう言って電話を切ったのだ。父親は誰よりも頑固で、自分の哲学には忠実。相手が息子の担任教師であっても、自分の主張は絶対に曲げない。
P154
情報過多のこの時代。情報をシャットアウトすることはかなり難しい。
だからこそ、意識的に不要な情報が入ってこないように努めてきた。
その方法のひとつが、人のSNSを見ないという方法だ。
自分が唯一無二の存在と言ってもらえるのは、きっとこうして周りからの意見を上手くシャットアウトし、自分が信じた道をひたすら進んできたからだと思う。
誹謗中傷やアンチの存在を意図的にチェックしていたら、無意識に叩かれない方法やみんなに好かれる方法を取っていただろう。
そうして流行りのGUCCIの服に身を包み、当たり障りのない言動をする、石を投げればぶつかるようなつまらない人間になっていただろう。
自分が正しいと思った道を行けばいい。
俺は、仕事のやり方には三種類あると思っている。
・正しいやり方
・間違ったやり方
・そして、俺のやり方
俺は、これからも俺のやり方で、生きていく。
P157
調子の悪い月は誰にでもある。
俺にもね、そんな月がなかったわけじゃない。水商売や営業職をやっている人達は皆こうした経験はあるのではないか。
では、そんなときどうするか。
俺は、堂々と売れ残ってやろうと決めている。
・・・
一番良い物が、一番売れるかと言ったらそういうわけじゃないんだ。
世間を見渡せば、ロールス・ロイスよりもプリウスが走っているじゃないか。
トータルのセールス額で言えば、きっとプリウスのほうが売れているだろう。
だからと言って、売れ残ったロールス・ロイスがいきなり値下げなどし始めたら、もうロールス・ロイスはロールス・ロイスではなくなる。
売れなかろうと堂々とショーウィンドーの中に佇んでいるからこそ、ロールス・ロイスなのだ。
ローランドは、いかなるときも自分をディスカウントなんてしない。
・・・
売れないんじゃない、みんなが買えないだけだ!
憧れと現実は別物。
みんなの手に届く存在ではない、というだけ。
そう思って、気にしない。
無様に勝つぐらいなら、美しく負ける。
まぁ俺は、美しく勝つんだけど(笑)。
P193
ローランドもね、毎回毎回すべてパーフェクトなんかじゃない。渾身のジョークが完全に滑る日もあれば、お客様を怒らせて帰らせてしまうときもある。毎月毎月、ナンバーワンだったわけじゃない。そんな日は俺も、人並みにショックを受ける。
だけど、批判や追及は俺がやらなくたって、ほかがやってくれるものだ。しかも頼んでいなくても(笑)。だったら、自分ぐらいは自分の味方をしてあげたらいい。
よく頑張ったじゃないか、また次、頑張ればいいじゃないかと。いつもそうやって自分を励ましているし、自分のことを守ってあげている。
月並みな言葉だが、ミスは人を確実に成長させるし、気持ちを引き締めてくれるものだ。
……そもそもひとつ言いたい。
このローランド様とて、ミスをするのだ。
それに弘法先輩も字を誤れば、メッシもPKを外すし、猿も木から落ちる。
そりゃあ、君達がミスをするなんてしょうがないオブしょうがないことだ。
別になんてことないじゃないか!一通り落ち込んだら、あとはもう自分は自分の味方。
P195
忘れもしない2010年の10月13日。
東京都大会の決勝で、我々帝京高校は破れ、引退が決まった。
その時湧き上がってきた感情を、俺はいまだに鮮明に覚えている。
・・・
不思議と、まったく未練を感じなかった。
・・・
サッカーに関して言うと、・・・俺はそんなに才能のあるプレイヤーではなかったんだ。
あれは中学生の頃だっただろうか。
今は日本代表になった同世代の選手のプレーを、間近で見たことがある。その時に、レベルの違いを痛感させられた。
だから、人が見ていないところで俺は毎日練習した。みんなが楽しくデートしているときに、みんなが友人と遊んでいるときに、毎日毎日、俺は夢を叶えるために練習した。
思えば、学生が普通に経験するであろう体験を、俺はほとんどしていない。
・・・
ひたすら、ボールだけを追いかけていた。
すべての時間を、夢に費やしたんだ。
そのぐらい真摯に、真正面から夢と向き合ったからこそ、無念さと悔しさ、そして安堵と解放感という感情が湧き上がったのだろう。
これでプロになれないなら、なにがあっても絶対に無理だと思った。
もし、適当な気持ちで夢に向き合っていたら?
なんとなーく努力していたとしたら?
きっと、「俺だって、本気出したらそのうち……」なんてカッコ悪いことを思いながら、今でも中途半端に、夢とも言えない夢を追いかけ続けていたかもしれない。
夢は叶わなかった。
けれども、あの時過ごした十数年は、俺に夢や目標に全力で向き合うことの大切さを教えてくれた。