感謝

僕が手にいれた発達障害という止まり木

 今に感謝して、笑いを忘れない・・・そうありたいです。

 

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 振り返ってみると、若いころに生きづらさを抱えていたのは、発達障害であることが理由のひとつでした。読み書きが苦手で勉強ができないことから、どうしても「自分はダメな人間だ」と劣等感を抱いてしまい、なかなか自分を肯定できない。そのため、前向きになれなかったのです。

 でも生きづらかったのは、それだけが理由ではありません。「感謝が足りない」ことも、理由のひとつでした。

 感謝が足りないと、被害者意識が強くなるし、まわりに要求ばかりしてワガママになってしまいます。・・・

 逆に感謝する気持ちが増えると、ちょっとしたことでいちいち怒ったりイライラしなくなるし、相手の立場を理解できるようになる。ものごとの見方を変えることで、ものごとがスムーズに進むようになります。

 同じ現象についても、感謝の気持ちがないと、うまくいかなかった部分だけが目についてしまいます。・・・

 でも感謝の気持ちを持つと、うまくいかなかった部分より、うまくいった部分に目が向くようになります。そして、「この部分は失敗だったけれど、ここはうまくいった。じゃあ、次はそこを広げていこう」と、前向きな発想ができるようになる。すると人間関係もうまくいくし、自分自身も成長できます。

 僕の場合、精神的な危機に陥っていた20代前半は祖父の存在がプレッシャーだったので、自分が柳家小さんの孫であることを、あたかも不幸であるかのように主張していました。ありがちですよね。「頼んでこの家に生まれてきたんじゃない」という文句。自分もサラリーマンの家庭に生まれたら、どんなにラクだっただろうと、ないものねだりしてしまうんですね。

 冷静に考えれば、小さんの孫であることはとんでもない財産なのに、それを恨んでいたなんて!今思えば、とんだお門違いです。ものの考え方が、完全に「お子ちゃま」。今は、「オトナになるとは、感謝を知ること」だと思っています。

 発達障害の人は、日常生活のなかで、うまくいかないことも多いかと思います。つらい気持ちになるのも当然だし、理解してもらえない苦しさもあるかと思います。でも、よかったこと、うまくいったこと、楽しかったことに目を向けてみてはどうでしょう。そして、感謝の気持ちを忘れずに。

 感謝の気持ちをたくさん自分のなかに取りこめば取りこむほど、得をするのは自分だと思います。

「がんばる」という言葉は、「我を張る」につながります。そして「がんばる」は「必死」という言葉とも友だちです。

「必死でがんばる」。聞いただけで、なんか息苦しいですよね。「必死」は、「必ず死ぬ」と書きます。字からして恐ろしい。

 ここに「努力」が加わると、もう、大変!なにせ「努」は、「奴隷」の「奴」に「力」ですよ。

「必死で努力してがんばる」。なんか深刻すぎて、笑いの余地がありません。余裕がなくて、窮屈です。

 最近気づいたのですが、自分が正しいことをやっていると思って一生懸命がんばっている人は、正しくない人が許せなくなりがちなんですね。・・・

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「がんばっているのに評価されないのはおかしい」と、ちょっぴり人を恨む気持ちが生まれることも。そう考えると、「がんばる」というのは、けっこう怖い。

 僕が尊敬している思想家の小林正観さんは「『がんばる』の反対は感謝だ」と言っています。「がんばる」の反対語というと、怠惰とか、怠慢だと思われがちだけど、そうではない、と。「えっ、どういうこと?」と思いますよね。

「がんばる」というのは、今はまだここにないものを目指す行為です。でも感謝は、今あるものを見る行為。そう考えると、なるほど、対照的ですね。

 ものごとに感謝しつつ、笑いながら目標に向かっていくほうが、ものごとはうまくいくのではないでしょうか。・・・

 今ある状態をありがたいと思い、洒落の感覚を忘れず、大変なことがあっても笑いを忘れない。僕自身、そういう生き方になってから、本当にラクになりました。