法律の改正へ

社会をちょっと変えてみた――ふつうの人が政治を動かした七つの物語

 和田さんのお話、つづきです。

 

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 ・・・和田さんが取り組みかけていたことがあった。それが「みんなのために頭を使うこと」だった。

 それは風俗営業法、風営法の改正、だった。さあ、いよいよここからが本題だ。

 一言でいうと、風営法でクラブの深夜営業ができない。十二時以降の営業が禁じられているから、それを改正して、規制をゆるめてもらおうというのだった。和田さんはそのための活動を始めていたのだ。

 あれ?今でもクラブは深夜に営業しているのでは?

 そうだ、その通り。一二時過ぎに営業しているクラブは多い。和田さんがクラブで倒れたときも、一二時過ぎだった。

 いったいどういうことだろう??

 風営法の条文をちょっと引用しよう。

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 つまり、ダンスをさせるための場所を営業するには、風営法の許可をとらなければいけないし、午前零時以降の営業をしてはならない。そうはっきり書いてある。

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 そもそも風営法が施行されたのは戦後間もない一九四八年。今から七〇年近くまえのこと。ダンスの規制をしたのは、当時のダンスホールが売春の温床だったからだ。

 その後ダンスをとりまく状況や社会が変わっても、ずっとあいまいな現場の「運用」でグレーな営業や規制が続いてきた。・・・

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 和田さんは振り返る。

「法律に違反しないで店を営業するためには、具体的にどこを守ればいいんですかと聞いても、あまり明確な答えがないんです。質問攻めにすると、向こうも口ごもってしまう。『常識的に踊っていると認定されれば』と言うので『常識って人によって違いますよね』とこちらが言うと、『現場の警察官の常識で』。要は、法律に問題があるのだなと」

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 だから、法を変えたいと和田さんは思った。一度しかない人生だし。明日何があるかもしれない人生だし。命を救ってくれたクラブに恩返しをしよう。

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 和田さんたちは「クラブとクラブカルチャーを守る会」を作り、政治家を回りはじめた。二〇一三年五月に超党派の「ダンス文化推進議員連盟」(ダンス議連)が発足する。

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 そうやって永田町に働きかけを続ける一方で、クラブのある現場、地域のことも和田さんの頭にはあった。

「地域のなかにクラブがある。いろんな生活サイクルの人たちと一緒の場にある以上、その人たちのことも考えなきゃいけないと思いました。自分たちが夜楽しくやっていた後に生活が始まる人たちに、不快な思いをさせたくない。『若い奴が夜集まって、何かやっているのは嫌なんだよ』という人たちに対して、事業者が町内会の集まりに参加するとか、朝掃除をするのでもいいけれど、ちゃんと顔の見える関係性を作って、地域のなかでスムーズに経営していかないといけない」

 そこで、二〇一三年の八月から地域の清掃活動を始めた。クラブの集まる渋谷の円山町に、クラブが終わった後の朝五時に集合した。一回目には五〇人ほどが集まった。

「トングとビニール袋を持って。そうしたら、びっくりするくらいゴミがあったんです」

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「何回もやっているうちに、あのあたりはホテル街なので、従業員の方に『ご苦労さまです』とあいさつされたり、地域に住んでいる早起きの年配の方々に『ありがとうね』と言われたり、少しずつ交流を持てるようになってきたんです」

 掃除を続けるうちに、ゴミも目に見えて減ってきた。居酒屋などの事業者が参加する別の団体も掃除を始め、一年ほどたつと、クラブの回りにはゴミがないという状況になった。

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「自分たち以外の人もこの世界では生活しているし、ちがう価値観の人もいる。さまざまな人たちがいるという前提に立たないと」

 それは地域社会への働きかけだけでなく、政治家に対してもそう考えた。

 ただお願いするだけではなくて、クラブにも問題があるから、自浄作用となるような自主規制のルールをつくって、問題を減らす努力を業界としてやっていく。そう約束した。

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 そして、「似て非なるご近所」とも連携した。

 風営法のダンス規制は、ダンスの定義が難しいのですべてのダンスに適用されており、社交ダンスも入っていた。有料でダンスを教えられるのは、警察庁が認めた教師資格を持っている人に限られているが、それも風営法で決まっている。だから、会費を徴収して公民館などで資格を持っていない人たちが集まって、ダンスを教え合ったりするのは風営法違反になるのだ。

 社交ダンス界は、今回の改正のずっと以前から活動を続けてきた歴史がある。「ダンス」という文言を法律から外すことが悲願だった。

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 そして二〇一五年六月一七日、改正風俗営業法が参院本会議で可決、成立した。ダンス教室とダンスホールの営業は規制対象から外れ、法律から「ダンス」の語もなくなった。JDSFの山田さんは「風営法として別の問題は残るが、ダンス界としては歴史的な大成果。垣根を越えたダンス界の大同団結、弁護士の皆さんの献身的な動き、そして今回のダンス議連の信念や規制改革会議につながった情熱の和はミラクルに近い」と語る。

 さて、和田さんに聞いてみた。

 和田さんみたいに、政治にまったく縁のなかった人が法律を変えること、って、他の人たちにもできますか?

「できます」

断言。即答。

「ただ、一人の力ではたぶんだめで、できるだけ多くの味方をどうつくるかになってくる。そのとき、自分の抱えている問題に興味がない人に、どう許容してもらうか。そこがポイント。『この人はこういうことを抱えているんだ。でも俺には関係ないからいいや』となるのか、それとも『俺には関係ないけど、そういうことだったら応援するよ』と言ってもらえるのか。そのアプローチを考える。それが社会のつくりかただと思う」

「いろんな人が社会にいて、自分とは関係のない人もいるという前提で、関係ない人にどう許容してもらえるか。それは、日本の社会では難しくても世界の他の国では可能になっている。そういう視野も必要。それを考えながら活動していけば、不可能とは言えない」

 ・・・

「ただ、変えるのは簡単ではないですけどね」

 ・・・でも、それでも変わる時が、変えられる時が来る、かもしれないのだ。