金メダル遺伝子を探せ

金メダル遺伝子を探せ!

 遺伝子つながりで・・・ちょっと前に読んだこの本を思い出しました。

 オリンピックで活躍するスプリンターの資質を調べることが、奴隷制度の歴史につながるとは、考えたことがなかったので驚きました。

 

P41

 さて、話を、ピツラディス博士の研究に戻そう。

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「現在、ACTN3などの遺伝子を解析するのと並行して、もう一つ熱心に取り組んでいる研究テーマがあります。それは、『ジャマイカの黒人スプリンターが適正な遺伝子を持つに至った歴史的背景』を探ろうという研究です。興味がありますか?」。

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「私は、一〇〇メートルから四〇〇メートル走、そしてハードル競技も含めた短距離の世界記録保持者の祖先を辿ってみると、みな、西アフリカがルーツであることに興味を持ちました。なぜこのような現象が起きるのか。これは遺伝的な現象なのか?環境のせいなのか?という疑問です」

 そこで、博士は、ある仮説を立てたという。

 それは、スプリンターとしての彼らの遺伝的な特徴が、西アフリカを起点とした奴隷貿易と何らかの関連があるのではないかというものである。

 博士は、この仮説を検証するために、特に、ジャマイカにおける奴隷貿易について詳しく調べ始めたところ、「マルーン(Maroon)」と呼ばれる人たちの存在に注目するようになったという。

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 そもそも、ジャマイカでは、一六世紀から、シエラレオネやガーナ、ナイジェリアといった西アフリカから黒人を連れてきて、奴隷として白人の農場で働かせていた。

 しかし、過酷な労働を強いられた黒人たちは、次第に、農場を逃げ出し、島の丘陵地帯や山中に集落を形成。過酷な環境に耐えながら、自給自足の生活を営み、奴隷解放を目指して武装活動を始めるようになる。そうした逃亡奴隷たちは「野生」であることを意味するスペイン語の「シマロン(cimaron)」を語源とし、マルーンと呼ばれるようになり、一七世紀後半から、イギリスの植民地政府に対する反乱を本格化させ、その後、政治的自治が認められた。

 博士によると、マルーンとして生き残ってきた彼らには、「〝適者〟生存の原理」が働いてきたのではないかと言う。

「第一に、西アフリカで、奴隷として選ばれたのは、体格がよく体力があった人たちです。大西洋を横断する船上での環境は極めて厳しかったからです。実際に、当時は、輸送の途中などで数多くの人が亡くなり、ジャマイカに辿り着けたのは、肉体的にも頑丈な人たちだけで、その確率は四人に一人とも言われています。

 そして、第二に、農場の主人に反抗して逃亡したマルーンは、イギリス軍と戦って自由を得ましたが、彼らは、ゲリラ戦を展開するのに十分な程、攻撃的で妥協を許さない集団だったと言われています。

 これらの歴史が物語っているのは何だと思いますか?

 そう、マルーンという集団内では、屈強な肉体や身体能力を持った者だけが生き残り、弱い者は〝自然淘汰〟されたということなのです」

 実は、そんなマルーンの子孫たちが作る共同体が、今も、ジャマイカ北西部に位置するトレローニー教区などにあるという。

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 実は、このトレローニー教区は、ウサイン・ボルト選手やベン・ジョンソン元選手など数多くの一流スプリンターを輩出している地域でもあると言われています。私が知りたいのは、果たして、マルーンの遺伝子と、スプリンターの遺伝子との間に、何らかの共通点があるのかということです」

 博士は、いわば、過酷な環境を生き延びてきた戦士たちのDNAに刻まれた遺伝的特徴こそが、それを大なり小なり受け継いだスプリンターたちの強さの秘密につながっているのではないかと考えているのだ。

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 このように、西アフリカ人や西アフリカ系の子孫が、自然淘汰の結果、短距離走に有利な遺伝子的特徴を持ったとする説は、突飛な話に聞こえるかもしれないが、実は他にもある。

 有名なところでは、ジャマイカ工科大学学長のモリソン博士らが唱えている〝鎌状赤血球症説〟がある。

 鎌状赤血球症とは、致死性のマラリアが多発してきた西アフリカなどで多く見られるもので、赤血球の形状が鎌状になり酸素の運搬能力が低下して起こる遺伝性の貧血なのだが、それが、マラリアの発症を抑えるのに、選択的な優位性があるとされている。

 ・・・これが逆に、短距離走などの〝瞬発力系競技〟にとって、有利な方向に働いたのではないかというのだ。

 すなわち、瞬発力を生み出す速筋繊維は、主に、筋肉内に蓄えられたグルコースブドウ糖)を使うことで、酸素を使わなくてもある程度まではエネルギーを作る(解糖系)といわれているが、酸素の運搬能力が低下した彼らは、この〝無酸素的代謝〟の能力を進化させることで、ハンディキャップを克服し、それが、〝瞬発力系競技〟に有利に働くようになったとする説である。

 この仮説の科学的真偽については議論を待ちたいが、いずれにしても、西アフリカを起源とした自然淘汰説は、複数存在している。