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目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

 プラスとかマイナスとか、いいとか悪いとか、無意識に思っちゃうクセがあることに気づいてみると、結構びっくりします。。。

 

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 ・・・白鳥さんは何度も言っていた。自分が美術館に通い始めたのも、写真を撮り始めたのも、「盲人っぽくない行動」をしたかったからだったと。そう考えると、白鳥さんが通常の盲人にはできそうにない特別な経験を求めていたことは確かだ。しかも、そこには無意識の差別や優生思想がベースにあるのではないかと白鳥さんは振り返る。

「どういうきっかけで、そういう自分に気がついたの?」

「二〇代後半あたりかな。全盲のひとでいくら練習をしてもマッサージがうまくできないひとがいて。あと、洗濯物をうまく干せないひともいた。俺も全盲だから、見えないならこういうやり方で練習したらうまくいくんじゃないとかアドバイスしても、そのひとはできない。でもさあ、そもそも『できる』と『できない』は、プラスとマイナスじゃないんだなって、できなくても全然いいんだよなって気がついた。それが二〇代のころだから、気づきはだいぶ遅かったと思うよ」

 ああ、そこだ。そこなんだ。

 いまわたしたちが生きる日本社会には、「成長はすばらしい」「便利になることは進歩だ」「働いて、稼いで、社会に役に立てるひとになろう」という能力主義的な思想がいたるところに埋め込まれている。わたしの中にもそういうイデオロギーは確実に流れ込んでいて、正直に言えば、自分もその思考に締め取られ「もっと頑張らなきゃ」と思いながら生きてきた。

 そういったものの最小単位は個人の「成長」で、いわゆる「自立」がひとつのベンチマークになっている。だからわたしも、幼い娘が自分で着替えられるようになったら拍手し、本を読めるようになったら褒めてきた。できたね、すごいね、と。

 もちろん成長はポジティブな変化なわけだが、その一方で、働いて社会に役立つ人間や人の「能力」ばかりを評価し、その人の存在自体を肯定しないような社会は、すべてのひとを包み込めないし、幸せにもできない。働きたくても働けないひともいるし、ひとり暮らしが難しいひとも多くいる。・・・さらに言えば、自分で「自立している」と信じているひとですら、家族や社会、サービス、テクノロジー、自然資源、恵まれた環境、親が残してくれた遺産など、なんらかのものに支えられていて、なにかを失ったとたんに人生につまずいてしまう可能性は誰にでもある。

 ・・・

 なにかをできるようになるとか、素敵な自分になりたいと願うことは健全なことだ。しかし、それが「もっと〇〇するべき」「わたしは努力したんだから、あなたも努力するべき」「常識ではこうだから」と勝手な「べき論」を他者や社会全体へ向けると差別や分断、生きづらさに変わる。すべてのひとは違うし、違ったままでいい。異なる他者、他者とは異なる自分を受け入れられたら、世界はもっと虹色の雪に近づくかもしれない。

「白鳥さんはそこに気づいてなにかが変わった?」

「別に劇的に変わったわけではないけど、徐々に視野が広くなっていった。ああ、ひとそれぞれ違いはあるんだけど、そのままでいいんだって」

 このとき、白鳥さんが「視野が広くなった」という言葉を使ったことで、わたしはあの奈良で見た千手観音を思い出した。

 ・・・

 ・・・いま起こっている現実を知ったうえで、目の前に不愉快な差別や優生思想の芽、耐えがたい非道が目の前に現れたとき、千手観音が無数の道具や武器で世界を救うように、わたしも非力ながら声をあげ、それらをぶっ叩いていく人でありたい。世界の複雑さや自分の無力さを盾にしながら、ただぼおっと中立でいることはもはやできない。

 

P184

《京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」》などの作品を生み出したNPO法人スウィングの代表、木ノ戸昌幸さんは著書の中でこんな風に書いている。

 

 スウィングのモットーのひとつに「ギリギリアウトを狙う」がある。だから始業時間はまちまちだし、眠くなったら昼寝をすることが奨励されているし、特に理由もないのに休みを取る人には拍手が送られる。知らぬ間に僕たちの内面に巣くってしまった窮屈な許容範囲の、ちょっと外側に勇気を持って足を踏み入れ自己規制を解除し続けることで、かつてはアウトだったものが少しずつセーフに変わってゆき、「普通」や「まとも」や「当たり前」の領域が、言い換えれば「生きやすさ」の幅が広がってゆく。(『まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験』)