愛と家族を探して

愛と家族を探して

 

「愛」と「家族」の多様な形を実践する人々へのインタビューがまとめられた本。

 今こんなふうに生きてる方々がいるんだな、国や時代が違えばまた、いろんな形があるのだろうなと思いました。

 

P15

 その女性と出会ったのは、二〇一七年頃だった。彼女は、結婚せずに子どもを産む非婚出産をすることにした人だった。若い頃から「子どもが欲しい」と思っていたわけではなかった。むしろ、思春期に婦人科系の病気の診断を受けていたため、妊娠・出産を諦めていたという。しかし、日々の生活の中で、昔から抱いていた「子どもと関わるのは楽しい」という気持ちの高まりに気づき、三〇歳で学童で働き始めることになった。

 かねての夢である子どもと関われる生活は充実していたが、その一方で、「保育士としての関わりだけでは物足りなくなった」と感じることも多くなっていったという。・・・子どもの親になる選択肢として養子縁組や里親を検討したが、法律婚をした夫婦でない場合や、一定の収入水準を超えていない場合は難しい。そこで「自分で産むのが一番早い」と、かつて医師に難しいと言われて諦めていた妊娠にひとまず取り組んでみることにした。

 しかし、当時同居していた恋人はうつ病。とても子育てを一緒にできるような状態にはなかった。それ以前に同居していた恋人たちも暴力的だったり、依存度が高かったりしたことから、誰かと恋愛関係になることによって発生する圧力からはできるだけ遠くにいたいと思うようになりつつあった。・・・彼女が非婚出産をした経緯は、選択というよりは自然な流れだった。

 とは言え、当時付き合っていた恋人の子どもを妊娠し、「一人で育てていく」ことには違和感があったという。・・・それは、彼女が昔から抱いていた「古くからの友人と自分の家を共有して家族のようになっていきたい」という想いに端を発していたところもある。そういう友人と本当に家族になるためにはどうしたらいいんだろうと考えて、「お財布を一緒にしてみよう」とか、「もっと近くに住んだらいいんじゃないか」といった試行錯誤の中に、「一緒に子どもを育てる」という方法が浮かび上がってきた。親以外のたくさんの拠り所がある状態は、素敵だとも感じた。

 それでも社会への不信感が拭いきれず、漠然とした不安の中にいた彼女が前に進むとっかかりになったのは、友人たちの言葉だった。

「出産したいんだけど……」と何気なく話した彼女に「いいね」「一緒に育てる?」と言ってくれた友人や、「産みたいんだったら産んだらいいんですよ。もしもあなたが子どもを育てられなくなったり、万が一死んだりしても僕が責任持って育てます」と言ってくれた友人。

 ・・・

 ますは身近な知人や友人に「産みたいんだけど」と自分を開いていくところから始まり、アドバイスをくれる人や情報共有をしてくれる人の輪が徐々にできあがっていった。妊娠に協力してくれそうな人探しも、・・・きちんと意図を話したうえで理解を得ないといけないという想いから、多くの人との関わりの中で子育てしたいことや、カップルで子育てするのに抵抗があること、養育費や子育ての協力は必要ないことなど、自身の子育て観のようなものを話すことは徹底した。驚く人も中にはいたが、「真剣に考えたいので、時間をください」と前向きに検討してくれる人もいた。全部で二〇人ほどにアプローチをして、最終的にはひとりの男性が協力してくれることになった。・・・妊娠したことを伝えたときは動揺し、その後も恋人関係にはなかったというが、健診で一緒にエコーを見たり、お腹がだんだんと大きくなってくるのを見守ってくれたり、自ら希望して出産にも立ち会ったという。

 ・・・関わっている身近な友人たちを入れたLINEグループが作成され、出産の実況やその後の経過報告にも使われた。・・・命がけの奇跡的な瞬間を共有したいという彼女の想いから実現したグループだ。

 彼女のそうしたスタンスは産後しばらく経っても変わらない。平日は子どもを保育園に預けてフルタイムで働き、基本的には一人で子育てしているものの、「子育てに関わりたい」と言ってくれる人たちと子育てを無理のない範囲で共有している。一緒にご飯を食べたり、遊んだりしながら、やれる人が、やれるときに、やれる範囲で関われる「出たり入ったりしやすい家族」というかたちを実践している。

 この話を初めて聞いたとき、なんて先進的な子育てなんだと感動したものだけど、その人は等身大でそれをやっていた。何か先進的なムーブメントを起こそうというわけでも、エンターテイメントでもなく、「結婚して子どもを産むというスタンダードな方法で子育てできるならしたかったけれど違和感があり、できなかった。自分流のやり方をとらざるを得なかった」と話した。不安はないのか、バッシングが怖くないのかと聞いても、「産む人生も産まない人生も自分なら、どうしても産みたかった」とはっきりとした口調で答えた。自然体でありながら確かな言葉に、私は胸を打たれた。自分が大切にしたいものや譲れないことを丁寧に洗い出して、家族をつくり、生き方を選んでいけるのだという事実に、肌を覆っていた鱗がまた一枚剥がれ落ちるのを感じた。