人は死なない。では、どうする?

人は死なない。では、どうする?

 電話相談でお話ししていて、中健次郎さんの気功を知りました。

 検索したら対談本があったので、興味深く読みました。

 

P21

中 ・・・私はいつのころからか、自分を超える何か宇宙の愛のようなもの、宇宙の意識のようなものがあって、それが私たちを導くことがあるのだと考えるようになりました。そんなふうに考えるようになった最初のきっかけは、もうずいぶん昔のことになります。

 私はニ十歳のとき、大学を一年休学して単独で北南米大陸を縦断旅行したことがあります。・・・お金がなくなったら、その時で働いて生活費や旅費を稼ぐ旅でした。・・・どの国でも困ったときは、不思議とだれかが現れて助けてくれました。・・・

 なかでも忘れられない思い出があります。中米のエルサルバドルに、イサルコ山という活火山があります。サンサルバドルのバスターミナルで、私はアメリカ人のバックパッカーと知り合いました。この若者は、活火山ばかり登っているという変わった男で、彼の誘いで、私はその活火山に登ることになったんです。

 標高自体はそれほど高い山ではありませんでしたから、私たちは数時間で登って帰ってこられると考えた。しかし私たちは山を甘く見ていた。登りだしてみると、足もとがひどいガレ場でまともに登れないんです。・・・山頂についたときには、もう日が暮れかかっていました。

 

矢作 水や食料を持っていかれなかったのですね。

 

中 そのとおりです。・・・遭難する山登りの典型パターンですね。私たちが持っていた食べ物は、オレンジが一個。それを二人で分け合いました。

 ・・・防寒具も持っていない私たちは寒くて寒くてしかたがなかった。耐えきれず、私たちは火口に降りていったんです。

 

矢作 火口に、ですか?

 

中 火口の中の煙が来ない当たりの石ころをどけて砂地を平らに整地し、そこに横たわりました。背中の下にはマグマが来ていますから、ぽかぽか温かいんです。しかし、そのマグマがちょっとでも噴き出したら、私たちは一巻の終わり。・・・

 ・・・空には満点の星が輝いていました。文字どおり、生と死の境目に寝転がって、私は考えたのです。旅で出会った数々の美しい光景や、知り合ったかたたちの顔を思い浮かべました。どこのだれかもわからない見ず知らずの若者に、優しく手を差し伸べてくれた人たちがたくさんいました。

 それまで私は、宗教心のあるような人間ではありませんでした。しかし、私を導き、成長させてくれる力というものは、やはり、あるのではないか。見守っている力があって、その力はこの地上のすべての人々の上に降り注いでいるのではないか……。

 ・・・

 そんなことを考えていた瞬間、夜空の端から端まで、赤い巨大な火の玉が流れたのです。彗星か、流れ星か、それがなんだったかわかりません。その火の玉は、ゆっくりと天空を斜めに横断して落ちていきました。

 

矢作 まるで大いなるものが、「しるし」を与えてくれたようですね。

 

中 そのとおりです。私もそのように感じました。感動で胸を震わせながら私は、「もう一回あのすごい火の玉を見せてくれるなら、大いなるものを信じよう!そして、その力の道具になろう!」と偉そうに心の中で誓いました。しばらく目を閉じていた後、私は目を開けました。

 すると、同じところを同じコースで、また巨大な火の玉が流れたのです!

「うおおおっ」と私は叫びました。「見せられた!」と感じました。・・・