ここも、大事だなと思ったところです。
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ある人が、海外出張中に自動車を運転していて、一瞬のミスから大事故を起こし、病院に担ぎ込まれた。しかし、大手術の結果、一命は取り留めたものの、左足を切断するという結果になってしまったのである。
麻酔から覚め、その現実を知ったこの人は、一瞬の不注意によって人生を棒に振ってしまったことを思い、悲嘆のどん底に投げ込まれていた。
しかし、事故の知らせを受けて日本から駆けつけたこの人の奥さんは、病室に入るなり、旦那さんを抱きしめ、何と言ったか。
「あなた、良かったわね!
命は助かった!
右足は残ったじゃない!」
このエピソードが、我々に教えてくれる、大切な「人生の真実」がある。
何が起こったか。
それが、我々の人生を分けるのではない。
起こったことを、どう解釈するか。
それが、我々の人生を分ける。
・・・
この「右足は残った!」の言葉は、その根底に、一つの覚悟と呼ぶべき人生観がある。
それは、
人生で「与えられないもの」に対する不満の心ではなく、
人生で「与えられたもの」に対する深い感謝の心。
その感謝の心に支えられた人生観である。
・・・
・・・過去の人生を振り返り、一つの問いを問うてみて頂きたい。
あなたは、いつ、成長しただろうか。
それは、決して、順風満帆の日々、幸運が続いた日々ではなかったのではないか。
・・・
・・・苦労の多い日々を、悪戦苦闘しながらも前向きに歩んだとき、気がつけば、成長している自分がいたのではないだろうか。
・・・
・・・「感謝の姿勢」を持つことは、極めて重要である。
それは、なぜか。
「自力」の落し穴に陥らないためである。
・・・
・・・「自力」の意識が強いと、たとえ、何かに成功しても、「自分が自力で成し遂げた」という意識の裏に、必ず、「次は上手くいくだろうか」「自分の力もここまでではないか」といった不安感や恐怖心が芽生えるからである。
これに対して、何かに成功したり、何かを成し遂げても、それが「天の配剤」や「大いなる何かの導き」によるものであるとの謙虚な感謝の想念を持つならば、その想念は無意識の世界に「天が導いてくれている」や「大いなる何かが導いてくれている」という深い安心感を生み出すのである。