視力と副作用

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

 視力を手にしてみての思いが語られていたところです。視力をこのまま維持するためにはシクロスポリンという副作用の強い免疫抑制剤を飲み続けなければならない・・・また事態はこの後展開するのですが、この段階でのこの思いは印象深かったです。

 

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 視覚への旅に乗り出すことにより、メイは自分の人生の信条を貫いてきた。「好奇心に従うこと」「冒険すること」「転んだり、道に迷ったりするのを恐れないこと」「道はかならず開けると信じること」。鏡の中に自分の姿を見るたびに、この信条に従って万に一つの確率の挑戦に踏み出し、本来の自分であり続けたことを再確認できた。そのおかげで、歴史上わかっているかぎり二〇人に満たない人間しか経験していないことを経験できた。その視覚とやらがどういうものかをこの目で実際に見ることができた。

 それだけではない。人生と自分自身についての問いにも答えを見いだした。そういう機会を手にできる人はほとんどいない。

 ・・・

 ・・・視力を手にしても、自分という人間についての感じ方は変わらなかった。自分がありきたりの人間になったとも感じていない。視覚障害者のコミュニティーは自分をのけ者にするどころか、受け入れ、挑戦に理解を示してくれた。

 もう一つ、答えを手にしたことがあった。ある人を知り、愛することは、その人を目で見られるかどうかとは無関係だと、メイはいつも言い続けてきた。視力がなくても妻と息子たちを本当の意味で見ることはできているはずだとずっと言っていた。いま妻子をこの目で見て、自分の言っていたことが正しかったと確認できた。

 こうして、知りたかった答えはもう手にした。そしていま、自分の奇妙な視覚はこれっきりよくならないと言い渡された。この先ずっと車の運転はできない。読書もできない。死ぬまで永遠に、視覚と認識の重労働、情報の洪水、深い疲労感とつき合わなくてはならない。視覚を通して知る世界は、将来にわたって常に混乱した世界のままだ。最大の問題は、この程度の視覚しか手にできないのに、それと引き換えに自分の命を危険にさらし続けなければならないことだ。世界を見るために、癌を呼び込み続けることになる。

 しばらくたったある夜、メイはまた洗面所に立って、手の中のシクロスポリンを見つめていた。もう挑戦の旅はした。自分の人生哲学も貫いた。ここまでやれば、パパはちゃんと立ち向かったぞと、息子たちに胸を張って言えるじゃないか。メイの頭をよぎったのは、そんな思いだった。