人との距離感

アフリカ出身 サコ学長、日本を語る

 こんな距離感で人とつながれるっていいなと思いました。

 

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 私のゼミ生たちは、バラエティに富んでいた。

 ある人は建築に関心があり、私の専門性に惹かれて来る。ある人はフィールドワークをやりたいと言う。全くのノリで来ている人、空間やデザインに関心のある人……。さまざまな思いで、学生たちがゼミに入る。

 いくつか共通するパターンがあった。

 一つは、おしゃれ系サコゼミ生だ。人文学部にいるけれど、デザインやファッションなどに関心のある人たち。十万円もする眼鏡をかけているような、私には考えられないことをする人たちなのに、なぜか私が自分たちのことをわかってくれると思っている。「サコはハイクラスがわかる」と。

 その正反対の庶民派サコゼミ生もいる。民族的な服装や、ボロボロの服。そしてドレッドヘア。その人たちも、自分たちはサコに理解されていると思っている。

 もう一つは、難しい本を読んできて、「哲学の議論をしたい」などと言ってくる人たちだ。

 それぞれに、私のことを「理解者」だと思っているのだから、面白い。

 これらのメンバーたち十数人が、バランスよくサコゼミにいた。

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 サコゼミは、大学の中で一つの個性的なグループになっていた。

 徐々に「サコゼミ文化」が築かれていくのだが、築いたのは私ではない。学生たちだ。彼らが、私という人間を使って新しい文化をつくっていったのだ。

 私が存在することで周囲がつながり、力を発揮する。「教える」「動かす」ではなく、自ら動きたくなるような気持ちを引き出す役割を果たせたことは、私にとっても学生にとっても大きかった。

 みんなの話を聞く。その姿勢は、二十四時間オープンだ。そして、学生がどんな話を持ってきても、受け止めると決めている。

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 ・・・私ゼミの学生たちは、十人十色、視力障がいの人、聴力障がいの人や、LGBTQなどマイノリティ意識のある人もいる。私はいつもフラットな姿勢でいるためか、トラブルメーカーと言われているような学生も、たくさん集まってくる。

 どんな学生でも、自分の思っていることをタブーなく私に話ができる関係性を保っていられるように、いつも心がけている。もちろん、例外もある。そうやって接しているといろいろなことが見える。そこでは当然トラブルになるケースもある。それは教員が無条件に自分の味方になってくれると学生が期待するからだ。私はむしろ学生が自分に自信を持てるよう、学生自身の力を気づかせることを大切にしたい。

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 しかしながら、学生との距離の取り方は少々難しい面もある。

 日本人の中には、物理的な距離が近ければ関係性も近いとか、深い友情だとか、恋愛だと思う人が少なくない。・・・

 私は、いつもオープンで明るくしゃべるし、親しくしゃべる。けれど、精神的な面では一定の距離感を保っている。それは、学生だけでなく、みんなに対してそうなのだ。

 ・・・私の目的はあくまでも「個」の自立、自律をサポートすることである。

 日本人は多様化していると思うのだが、物理的な距離と精神的な距離の分離は難しいのかなと感じる局面が多くある。

 もう一つ、理解できないことがある。

 日本人は時々、何か問題が起こったときに「親しい人だから許そう」という感覚を持つことがあるようだ。

 私の研究室に遊びに来ている一部の学生が、私の課題を期日までに出さなかったことがある。少々甘えがあったようだった。

 遅れて課題を持ってきたが、私はもちろん、容赦なく単位を落とした。その学生は驚き、「サコさんと親しいのに」と大きなショックを受けていた。

 意味がわからなかった。

 本当に学生のためになることは何なのか、ということである。

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 それは、とりわけ重要なことではないかと思っている。