佐々井秀嶺、インドに笑う

世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う

 インドで活躍するお坊さんの本を見かけて読みました。

 すさまじい人生だけど、深刻なはずが面白く読んでしまうのは、ご本人と、龍笑と名付けられたこの著者の絶妙な組み合わせゆえでしょうか・・・

 インドでの取材を終えて帰国する前の様子も印象に残りました。

 

P233

 早朝から深夜までの長い出張を終え、クタクタだったが、どうやら今夜は眠れそうにない。ゴワン、ゴワン、とひどい音を立ててまわる天井のファンの音を聞きながら、軋む椅子に座って今日までのことを振り返った。佐々井さんの忙しい時期を敢えてはずして来たので、のんびり取材できるかと思っていたが、本当に毎日、思いがけないことの連続であった。悪魔祓いに行ったり、インドの秘密警察と対決したり、陰謀渦巻くアーグラーや大荒れの記者会見、それにウイクトババの銅像も強烈だった。

 その主人公である佐々井さんは、あらゆる面で魅力的だった。今まで私は、多くの有名人を取材してきたが、全く一線を画していた。溢れる才能も、強い運も、集めたお金も、何もかも惜しみなく民衆のために使い、その生涯を捧げて生きてきた。清水の次郎長のように親分肌で、子供のように無邪気に笑い、虎のごとく吠えるが子犬のように人懐っこく、阿修羅のごとく恐ろしいのに菩薩のように慈悲深い。

 もっと佐々井さんに日本食を作ってあげたかった。私は、丑三つ時に電気ポットの蓋を開けて高野豆腐をぐつぐつと煮始めた。部屋を掃除し、荷物をパッキングしていると結局、朝4時になってしまった。・・・スーツケースと高野豆腐を詰めたタッパーを手に、迎えに来てくれた運転手さんとともに佐々井さんのいるインドラ寺へ向かう。・・・

 ・・・佐々井さんの部屋の前に立つが、部屋の電気は付いていないようだ。・・・躊躇していたら、運転手さんが遠慮なしにドンドン!と笑顔で戸を叩き始めた。

 中から「おーう!開いてるぞ!入れ」といつものダミ声が聞こえた。・・・「朝寝坊のお前が、ちゃんと起きられたのか」と少し笑った。・・・「空港まで送ってやる」という。「ここでいいです」といくら言っても、「ダメだ、俺は見送る主義なんだ」とゆずらない。

 ・・・

「龍笑、もう、お前と生きて会えないかもしれないな。お前が書く本は俺の最後の言葉になるかもしれん。・・・」

「佐々井さん、本当に危ないなら、寺に戻ってパスポートを持って一緒に日本に帰りましょう」

 ・・・

「いいんだ、もとよりインドの大地で野垂れ死ぬ覚悟だ。インド国籍を取っても、いつも心に武士道がある。日本男児たるもの、困っている民衆を見捨てることはできん。・・・差別され、今日も泣いている人がいるのに、どうして自分だけ逃げることができようか」

「いくらお坊さんとはいっても、命を狙われてまで、どうして居続けるのですか?」

「俺はインド民衆に生かされているからだ。・・・その恩にそむくことはできん。命もいらぬ、金もいらぬ、女もいらぬ。お釈迦様だってみんなの幸せを祈って、裸足でこの大地を歩いて、立派な家も持たず、最後は沙羅双樹の木の下で亡くなったんだ。俺がここにいる最大の理由は、龍樹から与えられた使命だからだ。・・・」

 ・・・

 ・・・佐々井さんが「見送ってやる」と車を降りて建物の入り口までついてきてくれた。私は改めてお礼の挨拶を言いかけたが、佐々井さんは「早く行け!」と怖い顔をしてシッシと猫の子を追い払うかのように手を払った。

 ・・・列に並び振り返ると、今度は優しい父親のような顔でニコニコとこっちを見ているのに気が付いた。・・・

 ・・・

 思わず列を離れて佐々井さんのところに戻ろうとすると、道路を挟んでいきなり怒鳴られた。「おい!龍笑、のこのこ戻ってくるな。何、まだ時間がある?そうやってお前はいつも遅刻するんだ。さっさと行け!こら、龍笑、泣くな。笑え!」