龍樹の声

世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う

 

 修行中、タイに留学させてもらった佐々井さんは、日本に帰国せず、インドに向かいます。そこでこんな不思議現象が・・・

 

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 せっかくだからインド仏教の聖地をまわり、高尾山に帰ろう。そして今度こそ、今まで迷惑をかけたお師匠さまに懸命に仕えよう。八木上人に伝えると、「それなら、8月7日は満月がきれいだから、それまでラジキールにいなさい。最後の夜は、汗を流した多宝山山頂のお堂に一緒に泊まろう」と言ってくれた。

 ・・・

 布団を並べて寝床についたが、なかなか寝付けず、すぐに寝息を立てて寝てしまった八木上人を起こさぬよう、そっとお堂を抜け出した。・・・将来のことを考えたり、瞑想をしたり、お経を唱えたりしているうちに、頭の真上にちょうど満月がきた。

「その瞬間の美しさといったら!・・・さあ、ここからが俺の人生で一番の大事件だぞ。・・・耳の穴をかっぽじって、よく聞けよ!」・・・

 荘厳な月の光に照らされながら、目を閉じていると、日付が変わった8日の深夜2時過ぎだっただろうか、突然、何者かに肩をものすごい力でパーンと叩かれた。驚いて必死でもがいたが身動きがとれない。震えながら、前を見ると、なんとそこには肩まで届く白髪の老人が満月に照らされて立っていた。眉が真っ白でそれも長く垂れている。額も広くてピカピカと光り、目は煌々として、あご髭と鼻の下の髭がつながって、その姿はまるで仙人だった。

 ・・・老人は突然、目をくわっ!と見開いて不思議なことに日本語でこう言った。

 

 我は龍樹なり

 汝速やかに南天龍宮城へ行け

 汝の法城は我が法城

 我が法城は汝の法城なり

 汝速やかに南天龍宮城へ行け

 南天鉄塔もまたそこに在らん

 

 誰なんだ、何なんだ?心のなかで必死に「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱えているうち、いつの間にか老人は消えていた。なんとか動けるようになった佐々井さんは、・・・八木上人の肩をゆすって起こした。

 ・・・

「い、今、白髪の龍樹を名乗る老人が!」

「龍樹?怖い夢でも見たんだろう。よし、よし、早く寝なさい」

 ・・・

 ・・・八木上人が起きてきたので、もう一度、お告げの話をすると、最初は半信半疑であったが、佐々井さんのあまりに真剣な様子に耳を傾けてくれた。

 ・・・

サンスクリット語で龍はナーガ、宮はプーラ。デカン高原にナグプールという都市がある。もしかしたら、ここのことかもしれない。・・・お釈迦様の生まれたインドだが、ヒンドゥー教に追われてほとんど仏教は途絶えてしまった。しかし、そのナグプールで今から十年前頃、ある偉い人が仏教徒になったそうだ。それに続いて数十万人が仏教に改宗し、仏教復興運動が起きたと聞いたことがある」

 ・・・

「行きます!これは天の声です!その声を訊ねてナグプールに行きます!」

 そう叫んで、八木上人の顔を見上げると、佐々井さんは驚いて飛び上がった。今まで見たこともない阿修羅のような顔がそこにあったからだ。八木上人は佐々井さんを煌々と睨み、「生半可な決意なら俺は許さない」という殺気を全身から発しながら、腹の底から声を張り上げた。

「ササイー!行くのかっ⁉今から出発するかー!」

 弟子にも〝さん〟を付けて呼ぶようないつもの優しい八木上人とはまるで別人だった。凄まじい気迫にたじろぎながらも、「これは天命なのだ、高尾山のお師匠さまを裏切ってでも行かねばならない」と佐々井さんは腹をくくり、負けじと声を張り上げた。

「八木上人、俺は行きます!今から、行きます!」

 ・・・

 ・・・ふと八木上人の顔を見ると、険しさがいつのまにか消え、普段の菩薩の顔に戻っていた。・・・