孫への思い

世界のおばあちゃん料理

 はじめに、には旅に出る前のこんなエピソードが書かれていて、ほっこりしました。

 

P8

 ・・・生まれ育ったのはトスカーナ州アレッツォ県にある、人口が1万5千人にも満たない小さな田舎町で、古い城壁が狭い町の中心部をとりかこみ、中世に建てられた塔にのぼるとまわりの田園地帯が一望のもとにみわたせる、そんな場所だった。畑のいくつかは、ぼくの親戚のものだった。おじやおば、いとこや祖父母。昔からずっと、そこが一族の住む場所で、みんな、どこかしらの土地を耕したり、家畜を育てたりしながら暮らしていた。・・・

 ・・・

 いずれは父のように測量の技術でも身につけるのだろうと、家族はみんな期待していた。ところが両親の意に反してぼくがえらんだのは、フィレンツェの写真学校だった。・・・数年後、イタリアの有名な雑誌が、「カウチサーファー」として2年間世界中を旅するという企画をとりあげてくれた。・・・

 契約書にサインしてから出発の日まで2週間しかなかったので、・・・時間を見つけて家族や親戚みんなに会い、しばらくいなくなるからね、と・・・そして出発まであと1週間という日、いよいよ祖母に別れを告げるときが来た。・・・80歳になった祖母は、トスカーナ地方から一歩たりとも出たことがない。

 その日たずねて行くと、もちろん昼ごはんが待っていた。いっしょに食べながら、ぼくは自分がやろうとしていることを話した。「いい、おばあちゃん、そういうわけで、1週間後にぼくは世界旅行に出かけるんだ。たずねる国は50か国以上。・・・旅行の費用は、雑誌社が出してくれるんだよ。すごいと思わない?町の新聞スタンドでその雑誌を買えば、ぼくがどこにいて、どんな人の家に泊めてもらってるか、わかるからね」

 戸惑ったように、祖母はただぼくの顔を見ていた。

「心配無用。危なくなんかないって!・・・」

 15分以上もかけて安心させようと、あれこれ話したのは、祖母が驚き怯えているのが、手にとるようにわかるからだった。・・・と、そこでついに、はじめて、祖母が口を開いた。なにを心配しているか、わかったのはそのときだった。

「でも、だって、バゴンギ」(なぜかわからないが、祖母にはいつもこう呼ばれていた)「食事はどうするんだい?だいじょうぶかい、ほんとに、そんな遠いところへ行って。いったいだれにごはんを作ってもらうの?・・・アフリカじゃ食べ物がほとんどないっていうじゃないか。ここにいなさい。行かないほうがいいよ。昼だって夜だって、お母さんのところか、うちへ来れば、ごはんが食べられるんだから」

 身の危険とか、ぼくが手に入れた仕事のこととか、そんな心配を祖母はしていたのではなかった。要は食事のことが心配だったのだ。

 大笑いして、ぼくはこういった。「だいじょうぶだって。世界中どこにでも、料理上手のおばあちゃんはいるんだから。みんな孫のために愛をこめて料理を作ってる。そういうのをごちそうになって、ほら、こんなによくしてもらってるんだよって、ちゃんと写真を撮って報告するから。レシピもつけてね。約束する」

 というわけで生まれたのが、この本です。