脳に心がついていけるか、というお話、興味深かったです。
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柳瀬 第一章で、アクセルを踏みすぎると出口がないところへ迷い込みそうだから、踏みすぎないように、ということをおっしゃいましたよね。でも、大丈夫でしょ、名人なら。もうちょっと踏んでも。
羽生 いや。でも、行ったら帰ってこられない世界ですから。入口はあっても出口はない世界なんです。
柳瀬 大丈夫だと思う。そんなヤワじゃないよ、というふうに、脳の強さだけで、ぼくもそんな大した脳もってないけど、とにかく脳を働かせて話をしなくちゃいけないんだと思ってこの対談に臨んだんです。そしてまさに脳に頼ろうという話をしていたときに「心が……」とあの文脈で出てきたとき、ぼくは本当にびっくりしました。心というものが、脳がなにかをしようとするときにそれを引っぱったりする、というふうに聞かされたのは初めてなんですよ。
羽生 あっ、そうなんですか。考えたり脳を使う作業と、ハートの部分、感情とか、そういうものが共通しているとはあんまり思わないんです。もちろん関連はしているでしょうけど、共通しているとは思わないんです。
柳瀬 うんうん。
羽生 隣接しているけれども、片方がもう片方についていけるいけないとか、あるいはものすごく近寄るということはあると思いますけど。
柳瀬 なるほど。精神と肉体という分け方はあるんです。これは古くからある。それで精神力がついていかないとか、あるいは体力がついていかないとか、それこそコモンプレイスな分類法はあるんです。
でも、脳が精神作用としてなにかやろうとするときに、別に精神作用として心がそれを引きとめたりするという、そういう言葉を聞いて一種、打たれましてね。頭脳を頼ってだけ話をしようとしたぼくが、いかに子供であるかと。
羽生 そんな……、そんなことはないですけど。
目に見えないというか、証明のできない世界なので、表現の仕方によっては詭弁的になってしまうかもしれないんですけど、なんとなく自分が感じているのは、そういうものなんじゃないかな、と。