メジャー挑戦の歴史

なぜ大谷翔平はメジャーを沸かせるのか (NHK出版新書)

 戦後、アメリカから日本に来て活躍した選手たち、そして日本からアメリカへの道を切り拓いた野茂さんはじめ、日本の選手のイメージを変えたイチローさんや松井さん。野球以外でこんなに大変なことが、これまではあったんだなぁと驚きました。

 こちらは、大谷さんが球団を選んだときに代理人をした方の話が載っていたところで、選手としては活躍できなかったけれど、こんなに重要な働きをしているということが、印象的でした。

 

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 メジャー行きの意思を表明した大谷に対してポスティングが行われ、本格的な獲得合戦が始まったのが2017年12月1日。こうした状況なら交渉は期限ギリギリの12月22日まで延々と続くはずだったが、驚いたことに大谷はわずか10日でエンゼルスに決めてしまった。すべて代理人、ネズ・バレロの功績だ。

 バレロは米野球界で最も成功をおさめているエージェンシー「CAA」の一員。これまでに・・・青木宣親らを担当してきた。米経済誌フォーブスによると、バレロがその時点までに得た報酬は総額2892万ドル(32億3900万円)で、同誌の「スポーツ代理人ランキング」で16位。野球だけなら6位だ。

 しかし自ら悲惨な目にも遭っている。1985年のドラフトでシアトル・マリナーズに入団。マイナー暮らしが続き、87年オフ、23歳のバレロ選手は、小銭を稼ぐとともに体を鍛えようと建設現場の仕事をしていたところ誤って足を踏み外し、10メートル落下してコンクリートの地面にたたきつけられた。臀部を激しくひねり、腰骨、肋骨が折れ、頭をケガした。「あの瞬間、野球人生が終わったと思った」とバレロ。しかしそこから這い上がり、野球教室を開いて成功。代理人のビジネスに身を投じた。

 大谷の代理人を引き受けたバレロは、メジャー全30球団に質問状を送り、大谷をどう起用し、どう待遇するのか、英語と日本語で回答を求めた。過去にそのような例がなく、「傲慢」との声もあったが、希望球団はすべて回答した。大谷はこれらの回答を全ページ熟読したといわれる。その上で面談した7球団の説明には真摯に耳を傾けた。

 結果はすべての予想を裏切った。私を含め、誰もがヤンキースを本命視していたが、選ばれたのはエンゼルスだった。私の知る限りエンゼルスだと予測した人は皆無だった。

 大谷は「(エンゼルス)に縁を感じた」と言ったが、早くから大谷に注目していたビリー・エプラーGM(ゼネラル・マネジャー)の存在と、マイク・トラウトがビデオ電話で入団を呼びかけたのが大きかったと思う。「1年じゅう練習をしていたい」(!)という大谷にとって気候が温暖なアナハイムは理想的だったといえる。また地元メディアはニューヨークより寛容。・・・エンゼルスが最も大谷を必要としたチームだったことも理由にあげられた。しかし、ここでは「二刀流を最大限に生かせるチームを探す」という一点で交渉を進めたバレロの異例ずくめの行動が特筆される。若くしてメジャーへの希望を断たれた男だったからこそできた、大谷への感情移入と、そろばん勘定抜きの作戦だったのか。